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歴史を学ぶ姿勢

僕などはあまり熱心に勉強してはいないので、その史料の確かさ、など因りも物語性を重視してしまうのですが、これを学んでいる人々は、この様な考え方ではいけないと思います。

三国志とは直接の関係はありませんが、この掲示板を
「三国志を通して歴史の学び方をも習得できるサイト」
であると考え、今回この様なスレッドを立てます。>>>148を代用する事も考えましたが、自治会本来の機能に支障が出る事を懸念し、こちらに新設した次第です。
皆さん真摯な意見を宜しくお願いします。

参考:>>>95-35
>>>95-44
>>>148-67
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ついでに馮道とは、五代十国時代(10世紀)の後唐から後周にかけての歴代王朝に仕えた宰相で、温厚篤実な人として知られ、諸葛亮が大好きだったという春秋時代の晏子(あんし)に類する人です。
馮道の評価を例に挙げたせいで、宋代の儒学者の歴史理解はトンデモだと、私が考えているように誤解されたようですが、

あと『資治通鑑』についてですが、司馬光自身が魏を正統王朝と位置付けていた訳ではなくて、歴史書のスタイルとして魏の年号で統一して記述する便宜上の必要があったからのはずです。司馬光自身の蜀正統論者からのクレーム防止策なんでしょう。
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と書いてみましたが、私は赤龍さんと口論したい訳じゃないんです。
矛をおさめる機会を探っていたんですが、とにかく私の態度にも落ち度があります。
すいませんでした。今度はもう少しお手柔らかにお願いします(^^;
私の方も今まで以上に言動には配慮を忘れないように努力しますので。

私も赤龍さんが東洋史を専攻されている方だと、(元歎さんから)聞き及んでおりましたもので、ちょっと学問対象を同じくしていることに甘えてしまったようですね。
以後このようなことのないようにしたいので、どうかご寛恕を。
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訂正
×「今度はもう少しお手柔らかにお願いします(^^;」
○「(空白)」
この一文は余計ですね。
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>>19
僕自身はsage進行にする必要は無いと考えますが‥‥‥(汗)

>>21-22
スレッドの趣旨から少し外れ始めていますよ。
このスレッドでは、これから歴史を専門的に学ぼうという学生達に、研究の為の姿勢を示してあげて下さいね。又「トンデモ」の様な一般的では無い言葉は、なるべく避け、やむを得ず使用する際は定義を説明をして下さい。
それと、>>18の様な書き方は端から見ていて感心できませんよ。

結局するところ赤龍さんの主張は
「彼らは単純な歴史への興味や、事実の探求のみで歴史を学び、記していたわけではありません。時として、自分の信じる思想・理念を表し、証明するための手段として歴史が用いられたということです(中略)実際は儒者であり且つ史家であるというのもごく普通のことです(中略)宋代史家に限定せずかつての史家の場合は、常識というよりも、より強烈に自らの信じる(かくあるべきという)思想、価値観で歴史を記してきたことも多々あったと。だからって、我々までもがそうした見方で歴史を見ても、また偏った見方しかできなくなるわけです」
という部分が本論である様に思います。

「当時の人の考え方を理解する」
という考え方ならば僕にも理解できますが、>>>174-52にある様に
「当時の人の考え方にしたがってみる」
とするのは、どうなのかなぁと、疑問符を打ってしまいます。
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26 巫俊(ふしゅん)
ひとつづつレスを。
「当時の人の考え方を理解する」
私の私的な実践的な方法が、
「当時の人の考え方にしたがってみる」
ことです。
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