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カク文和

皆様のご意見、大変参考になると共に、深いお話いつも楽しんで拝見させてもらってます!そこで私の好きなカクについて語りましょう!!
(W11K/au)
23 天草
荀イクに関しては>>>163に別スレを立てましたので、そちらに誘導いたします。

さて私も賈クの能力は買ってますし、従軍回数や大きな戦の記述を見ても、最も名前の挙がる軍師じゃないかな?と思ってます。

しかも彼が過去に曹操に対して行った行為を考えると、彼への待遇も曹操の人格も驚くべきものですよね。

そんな私は彼を軍師NO2と見てます(あくまでも最強は郭嘉でw)。皆さんはどう思いますか?
(PC)
24 大伴
>>23
私は郭嘉と賈クでは得意とした分野が違うのだと思います。
二人とも戦略、戦術両面に優れていた様ですが、郭嘉の発言は戦略よりであると思いますし、賈クの発言は戦術よりだと思います。

裴松之は李カクらに助言した賈クを、片言が災いの種を撒いたと酷評していますが、これも(ちょっと強引ですが)
「局地戦で勝つ事は出来るが、その事がもたらす政治的影響を考慮する事が出来なかった」
と読み替えれば、彼が(戦術>)戦略>政治の順で得意とした事が言えると思います。
(F2102V/FOMA)
25 大伴
スレッドタイトルとは大きく外れますが、>>21の続きを。

武帝紀の記述では、安衆以後の華々しさを書く訳ですが、曹操のその卓抜した技量を現しているのは、安衆までの後退であると思います。
@計画的後退で、敵を自らが設定した決戦場に引きずり込んでいる事。
A遅延後退をさせていた事。後退であるにも関わらず、逆襲の為の戦力を温存し、モラールを長期に渡って保持。

特にAから、長期に渡って攻撃を受ける訳ですから、最後尾は疲労しやすい事が言えます。故にここは複数の部隊が交互に担わなければ、とても持ちません。つまり曹操は、逐次後退では無く、より高度な交互後退(最後を入れ代わりながらする後退)により後退していた事がわかります。

又、安衆では後退を秘匿する為にトンネルを掘って逃げていますが、恐らくその土は防塁に見せかけて積んだのでは無いでしょうか?大量の土を隠さねばなりませんし、隠すならばこの方法が一番良いと想像します。つまり、抗戦の構えを一度見せ、離脱開始を見誤らせたと。
(F2102V/FOMA)
26 大伴
私も賈クが荀イク、荀攸と同じ列伝に納められているのには違和感がありますね。類別を間違えている気がします。
私は裴松之の様な厳しい評価をしたりはしませんが、注にある様に、戦略的な誤りはあったかも知れないとは考えます。
(D505iS)
27 赤龍
裴松之、よっぽど賈クが嫌いだったんだなあと感じます。こんなに裴松之に嫌われた人、他にいましたっけ?
個人的には、何故あえて賈クをこの巻においたか?その陳寿の考えの方に興味があります。
(J-SA05)