1 大伴

麋竺、孫乾、簡雍

通俗演義では孔明登場後、どんどん影が薄くなる三名。三国志の許麋孫簡伊秦伝でも記述は少なく、陳寿の評も伊籍と四人纏めて述べられています。この三名は(麋竺は蜀書、季漢輔臣賛の弟の項目で名がでますが)、先主伝に数回名がでる外は、許麋孫簡伊秦伝にしか名のでない人達で、裴松之もまったく注で触れていません。

ここではそんな地味な三人について語っていきましょう。
(F2102V/FOMA)
34 赤龍
鄭玄と孫乾は共に北海郡の出身。北海の相孔融は、劉備が徐州を治めることに賛成し、劉備を説得してますが、孔融と鄭玄も交友関係が見られます(北海名士グループの中心である)。また当時鄭玄は徐州に避難しており、陶謙は師友の礼をとっていた。陶謙と孔融もまた交流有り。こうして見ると、面白い人間関係、人脈が見えてきますね。
(J-SA05)
35 赤龍
孫乾が鄭玄に師事したか?儒者だったか?史料が無いのでなんともいえませんが、鄭玄から同郷の優れた人物と評価されてたと思われますから、何らかの交流があったかもしれませんね。ひょっとしたら、鄭玄と共に徐州に避難していたのかもしれません。
(J-SA05)
36 大伴
確かに徐州に孫乾がいたとする方が、筋は通る気はします。
又そういう学派を意識した見方をすると、劉備が田楷を離れて陶謙配下になったのにも、鄭玄の影響を考えてしまいますね。

人物辞典にはまだ鄭玄の項目は無い様ですね。どうやら重要人物の疑いもありますし、早急な追加をお願いしたいですね。私も詳しく知りたいので。
(D505iS)
37 天草
ここのスレにあるような謎に辿り着く事は出来ませんでしたが、一応調べて更新してみました。
読み仮名は(テイゲン)で間違いないですよね?

鄭玄
(PC)
38 李克用
手元に、鄭玄について書かれているものがありました。テイゲン、あるいはヂョウ(ジョウ)ゲンですので、あってますよ。
太学に入って、今文と公羊学を学び、張恭祖に師事して古文尚書・周礼・左伝などを学び、最後に馬融について古文経を学ぶ。
玄は、遊学より郷里に帰り、弟子の衆は多くにのぼる。党錮の禁の時は、著述に専念し、広く群経注した。漢代経学の集大成者となり鄭学と称す。
古代歴史文献の整理に、非常に貢献があった。

天草さんが、調べたのと大差ないですね。後半生が書かれてませんでしたが。
(P900i/FOMA)