36 赤龍
>>35
その呂布金髪説の発端は、多分『天地を喰らう』の金髪呂布なんじゃないかなと思ってます。
実際それ以外に呂布が金髪だったということを示す史料は皆無のように思います。
ひょっとしたらほんとに金髪だったかも?ぐらいの妄想はできても、可能性は限りなく低いと思います。
その呂布金髪説の発端は、多分『天地を喰らう』の金髪呂布なんじゃないかなと思ってます。
実際それ以外に呂布が金髪だったということを示す史料は皆無のように思います。
ひょっとしたらほんとに金髪だったかも?ぐらいの妄想はできても、可能性は限りなく低いと思います。
(PC)
38 五
お初にお目にかかります。五、と申します。
呂布の武勇についてですが、私が思うに、その武技よりも度胸の点で優れていたのではないか、と思いわれます。 日本の戦国時代、合戦の論功行賞を決める時、必ずあるのが『一番槍』という功績です。読んで字の如し、真っ先に敵陣に槍を入れた人物を指すのですが、この一番槍、中々できそうでできない功責なのです。 考えてもみてください、一番先に槍を入れるという事は、一番先に死ぬ可能性が高い、ということです。つまり、『一番槍』とは、その武者の武勇ではなく、度胸を誉め称える為のものなのです。
戦場の恐怖は、三国も戦国もかわりありますまい。馬中の赤兎と言われる名馬に乗り、敵中に真っ先に突っ込む・・・味方にしたらこれ程頼もしい味方はなく、敵にしてもこれ程嫌な敵はいない。これが、呂布の武勇の正体ではないかと、私は思います。
呂布の武勇についてですが、私が思うに、その武技よりも度胸の点で優れていたのではないか、と思いわれます。 日本の戦国時代、合戦の論功行賞を決める時、必ずあるのが『一番槍』という功績です。読んで字の如し、真っ先に敵陣に槍を入れた人物を指すのですが、この一番槍、中々できそうでできない功責なのです。 考えてもみてください、一番先に槍を入れるという事は、一番先に死ぬ可能性が高い、ということです。つまり、『一番槍』とは、その武者の武勇ではなく、度胸を誉め称える為のものなのです。
戦場の恐怖は、三国も戦国もかわりありますまい。馬中の赤兎と言われる名馬に乗り、敵中に真っ先に突っ込む・・・味方にしたらこれ程頼もしい味方はなく、敵にしてもこれ程嫌な敵はいない。これが、呂布の武勇の正体ではないかと、私は思います。
(P902i/FOMA)
39 巫俊(ふしゅん)
(PC)
40 五
さてさて、明確な資料が今手元にありませんで、正確なところは判じかねますが、ただ呂布が董卓の元に使えていた時にはそういう事の方が多かったのではないかと思われます。虎牢関における関羽との一騎討ちにおいては、そのような状況だったのでしょう。君主となってからも、劉備と袁術の争いを自らの弓の腕で仲裁するなど、呂布自身に人並み以上に度胸があった事は、想像に難くありません。 また、当時の合戦はまだ鉄砲や大砲といった遠、中距離攻撃兵器がなく、乱戦になりやすかった事も要因に挙げられます。乱戦ともなれば君主自らも親衛隊と共に戦いに加わることはよくあったでしょう。現に、まだ自勢力が小さいうちは、洋の東西を問わず君主自らが味方の兵と共に突撃し勝利している事例は、挙げるのに事欠きません。
(P902i/FOMA)