1 天草

【一騎】呂布奉先2【当千】

呂布スレが100になりましたので、2スレ目です。

参考スレ
>>>2 前スレ
>>>61 古の剣豪達
>>>116猛将について…
(PC)
>>40
注意事項(http://359kk.nobody.jp/tyuui.htm)の@を一度読んで下さいね。

勿論三国志演義の話もたまにはしますが、その場合は一度それとわかる様にことわって、皆さん書いてありますよ。

一度注意事項などを読んでみて下さいね☆
(PC)
42
申し訳ございません。呂布と関羽の一騎討ちの記述についてでございましょう。説明不足でございました。
あれを引き合いに出した理由は、『董卓配下の呂布は前線で自ら先頭に立って戦っていた』→『そのため、その武勇が際立って見え、また伝えられた』→『故に、虎牢関において関羽と一騎討ちをする場面が創作されたのであろう』という意味で書いたつもりだったのですが、文が稚拙でありすぎました。まことに面目ありません。
(P902i/FOMA)
43 赤龍
多分どこかですでに触れられてそうですが、呂布伝の注『英雄記』によると、郭氾に一騎討ちを挑み、勝負の末退けたと、貴重な大将クラスの一騎討ち経験者だったりします。しかも、孫策対太史慈のような突発的なケースでなく、わざわざ自分から名乗りをあげて挑んだという。
この例を見ますと、武勇を誇り、自ら先陣を切って敵中に攻め込むというのも、充分やりかねないようにも思えます。
(PC)
44
君主自らが先頭に立ち敵に向かい、その圧倒的な武力で敵将を打ち倒す。ある意味、最強の勝利の方程式ですね。張遼や高順が従う理由も、そんなとこにあったのかもしれません。自分の何かに絶大な自信を持つ人は、魅力的に見えますから。
(P902i/FOMA)
45 アポロん
初めまして。三国志自体は元々好きでしたが、北方三国志を読んで個人的にリョフブーム到来につき、自分も少し混ぜてください。
君主自ら先陣を切る…当時としては珍しい事ではなかったみたいな話を聞いた事があります。理由としては、兵卒の存在です。彼等は大部分が突然の徴兵によって、行きたくもない戦場に立たされているわけです。彼等の気持としては勝ち負けよりまず「死にたくない」でしょう、出来れば矢も飛んでこない後ろの方で小さくなってたいとか思っていたと思います。
そんな彼等に、君主がズッと後方から「行け」「突撃しろ」と言っても、士気も上がらなかったでしょう。
やはり、君主自ら敵陣に突っ込み、敵を薙ぎ倒しまくってこそ、兵卒達も「あの大将なら死なずにすむ」と士気もあがったのではないでしょうか。

君主・武将の先頭に立って〜〉は、兵たちを奮い立たせるための最も効率のいい方法だと、当時の武将達はしっていたのでは?
エンショウなどのように名門の出自などと言ったものを持たない武将達にとっても分かりやすい方法だったのでしょう。
武将の強さがダイレクトに部隊の強さに影響する=リョフ軍は乱戦では無類の強さを誇ったのもこれなら何と無く分かる気もします。

個人的にもリョフはやはり先頭に立って敵に突っ込んでは、無人の原を行くが如く暴れまわって欲しいですね(^-^)
(W33SA/au)