1 独眼龍李克用

司馬氏関連

諸葛亮があるのに無かったのはなぜだ!ということで、司馬懿、司馬師、司馬昭他司馬氏について語りましょう
(P900i/FOMA)
41 ストラップ
>>37-40
ありがとうございました。
三国志だけ見ていてもダメですね。

司馬卬って冠の様に毎度毎度「趙将」とか「趙別将」とかって付いてますね(汗)
「殷王」の前に付いている「虜」の文字は何ですか?

ついでに聞きますと、横山漫画で大活躍する
都万達
孫寅
魏亨
王需
らは、実在するんですか?
(PC)
42 赤龍
>>41
「虜」の文字、高祖本紀の文でしょうか?
でしたら
「三月、漢王臨晋より渡る。魏王豹兵を将いて(ひきいて)従う。河内を下し、殷王を虜とし、河内郡を置く」
という文で、普通に捕虜の「虜」、漢の軍に捕らえられたという意味でいいと思います。
(PC)
43 ストラップ
集解徐広曰く、の「此年十月、常山王張耳降、河南王申陽降、韓王鄭昌降、魏王豹降、虜殷王卬、……」の部分だったのですが、>>42の意味で良さそうですね。お尻に「降」と付かず、頭に「虜」と付いてたので勘違いしました。有難うございました。
(PC)
44 巫俊(ふしゅん)
>都万達
>孫寅
>魏亨
>王需

web上の漢籍電子文献の『史記』には、「都萬達」「孫寅」「魏亨」「王需」という語彙は存在していないようですよ。
(PC)
45 巫俊(ふしゅん)
>>41
>司馬卬って冠の様に毎度毎度「趙将」とか「趙別将」とかって付いてますね(汗)

『三国志』は三国の志と書かれ正史としては特殊な部類のタイトルになっていますが、『史記』の史記という言葉はもともと普通名詞で「歴史記録」というだけの意味のタイトルです。
『史記』には本紀、列伝だけでなくて、表(年表)と書(博物誌)がありますよね。

『史記』が正史の始めとされて賞賛されるのは、正史としての体裁を整えたからです。

というのも、先秦時代に書かれた歴史書は、歴史書というよりは年表に近いものでして、余り詳しい記載が出来るものではありませんでした。
だからというか、人物列伝みたいなものは先秦時代には無いんです。
三国志ファンが先秦時代や東晋南北朝時代に手を出さない理由として、魅力的な列伝が少ないか邦訳されてないということにも原因があるかもしれません。

さて、先秦時代の歴史記録はもともと年表だと言いました。
実は『史記』もそのスタイルの影響化にあります。
それが『史記』の表(年表)です。
一説によると、司馬遷はまず先に表をつくってから、本紀、列伝をつくったという説がありますが、
楚漢時代の年表も司馬遷は用意しています。
それが『史記』の表に収録されてる「秦楚之際月表」です。

「秦楚之際月表」を見れば分かるのですが、この年表は











記事がそれぞれ国別に分類されていまして、『史記』は本来、地域別の歴史としての性格が強いんです。

漢の世が長く続いた後の三国時代については三国の歴史を書けばそれで事足りたんですけど、
地域別に国家が分立していた前漢初期までの歴史を描くには、個人の伝記よりも個人がどこに属しているかが問われたようですね。

これは興味深いことだと思うんですよ。
『三国志』にしろ、個人の伝記を標榜しつつも、列伝の選考は三国の中でどんな働きをしたかが問われていますからね。
(PC)