1 大伴

麋竺、孫乾、簡雍

通俗演義では孔明登場後、どんどん影が薄くなる三名。三国志の許麋孫簡伊秦伝でも記述は少なく、陳寿の評も伊籍と四人纏めて述べられています。この三名は(麋竺は蜀書、季漢輔臣賛の弟の項目で名がでますが)、先主伝に数回名がでる外は、許麋孫簡伊秦伝にしか名のでない人達で、裴松之もまったく注で触れていません。

ここではそんな地味な三人について語っていきましょう。
(F2102V/FOMA)
49 赤龍
ちょっと調べなおしてみました。『後漢書』郡国志に「不其は侯国、故は瑯邪に属す」とあります。後漢から三国は確かに青州東莱郡に属しています。しかし前漢の地図を見ると、この地域は瑯邪郡に属しています。これは郡国の変遷によるものです。天草さんが参考にされたものは前漢に準拠したものだったのでしょう。
(J-SA05)
50 赤龍
こうした行政区分の変遷は結構ややこしい問題で、それに関する専門の研究も行われてる程です。混乱するのもしかたがないものです。
ちなみに後漢から三国は、琅邪は郡ではなく国です。
(J-SA05)
51 しす
麋竺の死に同情age
(PC)
52 ストラップ
このスレッドはなかなかに興味深いものがありますね。皆さんには是非、最初から再読して欲しいですね。

麋竺の家が火事になる記述をどこかで読んだ気がするのですが‥‥‥三国志蜀書でしたっけ?
(PC)
53 赤龍
火事の話、麋竺伝注の『捜神記』ですよ。
(PC)