1 大伴宿禰ゴジョウ

曹操軍の組織

建安二十年、孫権の率いる攻撃に接し、合肥では、張李楽の三将が合議によって、方針を決定しています。どうやら三名には、専任だとか、上位という順位付けが無かった様な記述です。無論、これが事実ならば、(この場合は上手くいきましたが)指揮系統の混乱が生じた可能性は高いでしょう。組織として脆弱な気がします。
又、李典と程イクは、建安七年、袁譚、尚の兄弟を攻める際、黎陽において明らかな命令違反を犯し、水路を確保しています。

曹操軍の組織は良く言えば柔軟なのですが、それは明らかに命令系統に不備があるのです。
現場サイドが勝手な判断で動いた事によって負けた戦は、過去に多数(たとえば、「泣いて馬謖を斬る」の故事で知られた、街亭の戦い)ありますし、最高責任者が複数居ては、意志決定に時間がかかりすぎます。

曹操軍の組織というのは、現代の観点からすれば欠点が多い様に、私には感じられるのですが、皆さんは如何でしょうか?是非意見をお聞かせ下さい。
(F2102V/FOMA)
65 楽毅
曹操軍に限らず、臨機応変でなければ戦争に勝つ事はできません。命令違反をした為に負けた場合は処罰の対象になり、勝てば大して咎められる事はありませんよ。将、外にあらば君命をきかずです。 現場の事は現場の人間しか決められませんから。 命令の為に負けるなら無視して勝てばじゃないですかね。
(SH900i/FOMA)
66 楽毅
連がき、すいません。 補足。↑のカキコは君主と将軍、戦時指揮官の関係であります。 軍内の場合、軍の規律、将軍の命令は厳正かつ絶対でなければなりません。 それは曹操軍全体に浸透していたはずです。 個人と軍の違いです。 伝わりますかね
(SH900i/FOMA)
67 どら
李典と程イクが行なった命令違反とはどういったものなんでしょうか?その内容を知らないのでなんとも言いようがないのですが、「命令違反」ではなくて「独断」なのでは?
「独断」とは状況の変化が通信の速度を上回った時や通信が不能になった際に起こるもので、聞こえは悪いですが、現場指揮官はこれが出来なくてはだめです。
「命令違反」と「独断」の違いは
@状況の変化を報告する手段の有無
A状況の変化に対する考え方が上級指揮官の意図と反していない事

例えば「討って出るな」と言う命令を受けた城塞指揮官が間者に兵糧を焼き討ちに合い、報告する暇がなく短期決戦を挑み
@勝てば「独断」による勝利
A負ければ「独断」による敗北
B兵糧が尽きて士気が崩壊すれば無能な指揮官

なんの状況の変化もないのに討って出たり報告の手段があるのに勝手に討って出るのは「命令違反」
つまり後で聞いて上級指揮官が「おれもそうなったらそうしただろう。」と思えば「命令違反」ではなく「独断」
ちなみに馬稷のは明らかな「命令違反」
(N2701/FOMA)
68 大伴
>>67
曹操は河から攻める事を固く禁止。
二名は現地で水路から攻める事を決定。
実行し成功。

こんな流れだったと記憶しています。
(D505iS)
69 どら
ん〜なるほど〜それだけ見ると明らかな「命令違反」ですね。ただ内容が具体的に分からないだけはっきりは分からないですね。
例えば「河から攻めるな」というのも
@渡河するな
A川上から攻撃するな
B川下から攻撃するな
と色んな意味が考えられますよね。
(N2701/FOMA)