1 大伴宿禰ゴジョウ

曹操軍の組織

建安二十年、孫権の率いる攻撃に接し、合肥では、張李楽の三将が合議によって、方針を決定しています。どうやら三名には、専任だとか、上位という順位付けが無かった様な記述です。無論、これが事実ならば、(この場合は上手くいきましたが)指揮系統の混乱が生じた可能性は高いでしょう。組織として脆弱な気がします。
又、李典と程イクは、建安七年、袁譚、尚の兄弟を攻める際、黎陽において明らかな命令違反を犯し、水路を確保しています。

曹操軍の組織は良く言えば柔軟なのですが、それは明らかに命令系統に不備があるのです。
現場サイドが勝手な判断で動いた事によって負けた戦は、過去に多数(たとえば、「泣いて馬謖を斬る」の故事で知られた、街亭の戦い)ありますし、最高責任者が複数居ては、意志決定に時間がかかりすぎます。

曹操軍の組織というのは、現代の観点からすれば欠点が多い様に、私には感じられるのですが、皆さんは如何でしょうか?是非意見をお聞かせ下さい。
(F2102V/FOMA)
75 赤龍
これは確に命令違反ですが、現場の人間の判断。ここでの最大の目的は兵糧の輸送。李典も「いやしくも国家に利があれば、専断も許される」と言ってます。現場の将の判断として咎められることは無く、むしろ評価されたでしょう。勿論失敗すれば命令違反で処罰は受けたでしょうし、その覚悟は当然あったでしょう。
(J-SA05)
76 大伴
ギ郡太守の高ハンが黄河のほとりで水路を絶ったとありますね。
(D505iS)
77 どら
なるほど。命令違反なのかな?水路を遮断している敵を撃破することを具申した記述は残ってないんですよね?
連絡手段が確保しにくい現代と違って、現場の判断で上級指揮官の指示と全く違う事をしても成功さえすればOKなのかな?
(N2701/FOMA)
78 赤龍
前にも引用しましたが、この決断をする時の李典の言「軍は内に御せられず、いやしくも国家に利あらば、之を専するも可なり」(軍は宮中から統御されない。国家に利益があるのならば、専断することも許される)が曹操の命令を無視した現場の独断であること、そしてその行動が妥当な物であれば現場の判断を優先させる事も認められたこと等を示していると思われます。
(J-SA05)
79 赤龍
また、この事が李典の伝に記述されているという事は、この行動が李典の功績として記録された、行為が正当なものと曹操にも認められたことを示しているのではないでしょうか。
(J-SA05)