1 天草

天下三分の計

言わずと知れた、孔明の最初の献策です。

天下三分の計(概略)

この策について語りましょう!
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76 朱家
夏侯惇らの攻撃は、曹操が鳥丸へ向かうまでと思われ、討伐中に、そんな挑発をしたら、本気で許襲撃されかねないし、劉備を信頼してないとはいえ、救援しますし、曹操がいない(動けない)軍は、劉表とは戦えません。むしろ、国境の曹操軍のほうが、守る事で精一杯だと思います。

孔明らの戦略は、曹操と戦うためで、それを変更すると、曹操と戦わない、倒す気がないとなります。
曹操と戦う事と比べたら、荊州、益州奪取は極めて容易だし、江東、荊州、益州の連合は必需で、曹操と戦える、別の戦略は存在しないと思います。
楽毅に擬してるなら(楽毅伝を読めば)、あの程度は考えつくし、約6年も劉備を見てきて、昭王にしようと思ってるのに、その手段(曹操と戦う)を伝えないとは考えにくいです。

劉備は、軍を動かさなければ大丈夫ですから、周瑜に、えげつない妨害をする気がします(笑)
しかし、周瑜は意図的に抑えようとしてますし、公安の知所を置く挑戦的な態度から、ありとあらゆる妨害を想定してると思いますが…さすがの劉備(孔明)も、益州を取られると、心が折れるか?
(PC)
77 巫俊(ふしゅん)
>>76 朱家さん

>>75 元歎さん
>赤壁以前において、荊州保持はもちろん奪取も難しいと思います。

荊州という言葉を使用する際、建て前上牧伯が指揮権を有する荊州のすべての郡県を指しての「荊州」か、
州内の主要な幾つかの拠点ないし劉表が治所を置いていた襄陽を指しての「荊州」か、
明示されて議論されたりすると、言葉の行き違いも無くなると思いますよ。

「荊州保持」と元歎さんはおっしゃいますが、荊州の郡県には親劉備の官吏がいたことは確実で、襄陽城内にどの程度いたかは分かりませんが、曹操侵攻という未曾有の混乱をまえにしたこの時期、主戦派の官吏・群集を糾合すれば襄陽城奪取くらいはできると、少なくとも諸葛亮は考えていたということは容易に想像されます。

朱家さんの「荊州、益州奪取は極めて容易」というご意見についても、荊州、益州の郡県の隅々まで奪取することを考えれば、現実的には孫権や曹操といった大きな障害が待っていることですし、

元歎さんの「荊州保持」「荊州を保持」といった荊州に関する元歎さんの意見と、
朱家さんの「荊州、益州奪取は極めて容易」といったご意見は、荊州支配という言葉の定義面の問題、つまり実質的に荊州の郡県のうちどこまでを完全支配していれば荊州を保持しているという定義を満たすことができるか、という点で噛み合っていない、もしくは互いに用語の定義の差異を深く考えていないことに原因があると推察しました。


(PC)
78 朱家
若干、方向性が変になってますが、私は「天下三分は周瑜死後」に反論してるだけです。

魯粛が孫権に会った頃の呉は、周瑜、陸遜どころか、孫権自らも内部鎮圧に動いており、もはや反乱レベルではなく、陸遜は「山越を平定しない限り、北方への戦略は困難」と言ってます。
魯粛は「今のうちに荊州を取れ」と言っており、曹操と戦う戦略ですが、呉内部から見たら、なかなか的外れな発言です。
孔明も同じく、少なくとも劉備には、曹操を倒す、戦う気があるので、その唯一の手段(方向性)を伝えただけで、仮に、荊州奪取が極めて困難だったとしても、唯一の手段なのですから、「発言してない」根拠にはならないでしょう。
元歎さんの根拠だと、魯粛、甘寧の発言もなかった事になります。まあ、江東、荊州、益州の連合が唯一なのかは、実際のところ分かりませんが…

周瑜が、孔明や魯粛のように外の人間であれば、同じような事を発言したと思いますね。
(PC)
79 巫俊(ふしゅん)
当初「天下三分の計」論争には関心を払っていませんでした。
諸葛亮伝などは虚実がないまぜですから、考えることを放棄していたとも言えます。

私が思ったのは、元歎さんや朱家さん、他の人たちとで戦略的な状況の分析、判断が明確に異なっているということ、かつその点については明確にして議論されてはいないこと、この二点です。
元歎さんは、むじん書院のむじんさんや三国志討論会の人たちから、「天下三分の計」前後の年代の流動的な戦略的状況や思考方法を教わっているので、正史の記述を疑ってかかっているのですが、的確な説明をする機会に恵まれていないようなので、代わりに指摘できることを指摘してみます。
その上で、元歎さんの説を再考すれば、朱家さんの考えている説とそう遠くは無い結論に至るだろうと思いますよ。
(PC)
80 巫俊(ふしゅん)
先に朱家さんの説明に、私が知らないことが書いてあるので質問させてください。私が勉強不足で知らないだけだろうと思いますけど、聞いた方が分かりやすくなるのですっきりすると思いますから。

>>78
>元歎さんの根拠だと、魯粛、甘寧の発言もなかった事になります。

これはどこの発言を指して言っておられるのでしょうか?ここを明確にすると、元歎さんの根拠にしている部分もはっきりします。

>>76
>夏侯惇らの攻撃は、曹操が鳥丸へ向かうまでと思われ、討伐中に、そんな挑発をしたら、本気で許襲撃されかねないし、劉備を信頼してないとはいえ、救援しますし、曹操がいない(動けない)軍は、劉表とは戦えません。むしろ、国境の曹操軍のほうが、守る事で精一杯だと思います。

これについては異論を容易できます。曹操が鳥丸へ向かうか、反転して荊州辺境に侵入してくるか、判断するのは曹操側であって劉備側は予測の段階だからです。
曹操が遠征して鳥丸を攻略すると見せかけて、反転して劉備を挑発してくることも十分有り得るからです。
(PC)