1 大伴宿禰ゴジョウ

曹操軍の組織

建安二十年、孫権の率いる攻撃に接し、合肥では、張李楽の三将が合議によって、方針を決定しています。どうやら三名には、専任だとか、上位という順位付けが無かった様な記述です。無論、これが事実ならば、(この場合は上手くいきましたが)指揮系統の混乱が生じた可能性は高いでしょう。組織として脆弱な気がします。
又、李典と程イクは、建安七年、袁譚、尚の兄弟を攻める際、黎陽において明らかな命令違反を犯し、水路を確保しています。

曹操軍の組織は良く言えば柔軟なのですが、それは明らかに命令系統に不備があるのです。
現場サイドが勝手な判断で動いた事によって負けた戦は、過去に多数(たとえば、「泣いて馬謖を斬る」の故事で知られた、街亭の戦い)ありますし、最高責任者が複数居ては、意志決定に時間がかかりすぎます。

曹操軍の組織というのは、現代の観点からすれば欠点が多い様に、私には感じられるのですが、皆さんは如何でしょうか?是非意見をお聞かせ下さい。
(F2102V/FOMA)
89 諏訪
>>88
「邵」という字、携帯でもちゃんと表示されていますよ。

邵という名の件といい、曹真の父には謎が多いですよね。

もっとも名の件に関しては、裴松之も指摘しているように、書写の際の間違いという可能性もありますが。
(W51S/au)
90 巫俊(ふしゅん)
書写の際の間違いですか。
裴松之の指摘を見ると、誤写で誤った字が書かれている可能性に裴氏が留意していることを窺えるんですが、372年(東晋)に生まれた裴松之にして取り返しのつかない誤写があって本当の字が分からない可能性を指摘しているなんて、そもそも史書としては悲惨な状態ですよね。
やっぱり『三国志』の正本など信頼できる版本は西晋滅亡の折などに焼かれたりしたのでしょうか。
私は150年ばかりの間で取り返しのつかない(修正できない)複写ミスが起こるらしいことに暗然とします。
『三国志』ってこういう史料なんですよね。
(PC)
91 諏訪
同様な問題として、「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か、というのが有名ですね。
これは、印刷技術の普及以前における史書の宿命だと、私なんか割り切っているところがありますが。

段々スレ違いになってきたので、この話題は>>>254に移しますね。
(W51S/au)
92 バンビ
皆様お久し振りです!

最近婁圭について調べたら初平年間に婁圭の下風に立つ事を望まない王忠に破られているんですよね。
皆さんはさすがに知ってましたかね?
劉備にやられてかなり評価を落としていると思うんですが自分の中でもかなり下の評価だったんですけど皆さんの王忠の評価はどうですか?
(W54T/au)
93 徳操
はじめまして、バンビさん。徳操と申します。

王忠は曹丕即位の勧進帳では序列7位で名を連ねています。官位は雑号の軽車将軍でありながら、魏の衛将軍曹洪の上に来てるので、夏侯惇のように不臣の礼を受けていたのかもしれません。
(CA001/au)