1 徐福

姜維について

蜀軍最後の名将姜維ですが。皆さんは国の衰退を招いた亡国の将と見るか、諸葛亮の意思を受け継ぎ志を果たそうとした英雄と見るかどちらでしょうか?僕は三国志の武将の中で姜維が一番好きなので名将と見ています。
(EZ)
85 朱家
本当だ、248年になってる。その後、鎮西大将軍で登場するのは符合するから、この時驃騎で、姜維とともに降格し、鎮西は先取り記述の可能性ってとこかな?間違いでなければ(笑)


車騎将軍トウ芝、『三国志』だと251年に亡くなってますが、注釈(華陽国志)で、248年、死期が近いと悟った逸話があり、この年、胡済がエン州刺史(前任がトウ芝と思われる)になってます。
@トウ芝が248〜249年に亡くなってる。
A夏侯覇の車騎が251年以降。
B249年に車騎が二人いる。
もう一つ、可能性として、病気で召還され、何らかの名誉職となってる。

243年にトウ芝が車騎なのは、符合します。258〜261年の事は、もちろんBを採用し、主観で組み立てた仮説ですね。

将軍号は、孔明のせい(笑)で、形骸化してると思いますし、トウ芝も督江州で車騎ですし、基本は序列だと考えています。胡済が死んでると思われ(再びエン州刺史で、261年に宗預)、本気で交代させる気ならば、驃騎将軍にしてると考える訳で、すでに同格か上なのではないかと…

大右将軍(便宜上)だとして、蜀漢で、他の大前将軍などの官職が見られず、前後左右将軍は、行、領も見られない。まあ、行などの将軍の記述がほとんどないですが。
(PC)
86 萌黄
話を戻してしまいますが、姜維は名将だとおもいます。悪いのは、自分しか考えず、黄コウにのせられて奢侈ばかりしていた、劉禅だと思います!だって、劉禅がしっかり国を治めていたなら、姜維の北伐は成功していたはずです!
(P903i/FOMA)
87 バンビ
自分が忙しく来てない内にこんなに盛り上がっているとは…

さて萌黄さん成功していたはずと言われますがその根拠はなんですょう?
自分的にはあの国力差と人材不足の点から呉にさえ勝てないと思っています。
(W54T/au)
88 子明
久しぶりに投稿させて頂きます
改めて姜維という人物は本当に賛否が別れる武将ですね
さて疑問に思ったのですが
正史三国志の筆者陳寿の彼への評価なのですが「姜維は文武ともに優れていたが、多年に渡り国力を無視した北伐を敢行し、蜀の衰亡を早めた」という批評しています
まあこのことは的を得ていますが
陳寿の師とする譙周が討論を元に、『仇国論』という北伐の無謀さを批判した著書をまとめたという影響で批評に繋がったのでは無いのかと疑問を感じました
この頃の蜀漢には人材に乏しく軍事面だと殆ど姜維にしか頼るしか無かったのでは?
と思ってしまうのです
魏のケ艾や鍾会に対抗出来る人物は姜維を除いて誰が出来るでしょうか?
剣客で鍾会を死守したのは評価しても良い気が致します
皆様の意見を伺いたいです
(iPhone6.0.1/s)