1 小龍

陶謙について

初めまして。皆さんの詳しい発言をいつも楽しくロムっていました(;^_^A今回初めて投稿します
徐州の陶謙は劉備に州を譲った人で有名ですよね?配下にも立派な人間がいました。しかし、曹操の父を暗殺したりしてる様ですが、良い人間なんでしょうか?どう思います?
(N900i/FOMA)
68 寿君
「陶謙字恭祖、丹陽人也。少為諸生、仕州郡、四遷為車騎將軍張温司馬、西討邊章。會徐州黄巾起、以謙為徐州刺史、撃黄巾、大破走之、境内晏然。」
「後漢書」の陶謙伝にはこうあります。たぶん公孫祐さんの言う通りではないでしょうか?。
徐州牧は董卓に付け届けして、安東将軍と共に頂いてますね。
さすがは中々抜け目のないおっさんですな。

で?公孫サンの命で発干に陶謙が駐屯してますが、2ちゃんROMってたら、「地域的にありえないのでは」って意見があり「同姓同名の別人」って話がありました。

でも、タンが本拠で、青州には田楷がいるから、進出できない事はない。
でも、陶謙の場合、曹操を攻撃するなら、沛方面から進撃した方がいい気もしますし、公孫サンとしても、そうしてくれた方が良かろうし、その場合は他の武将を発干に駐屯させるべきな気はしますが…。
(P905i/FOMA)
69 公孫祐
〉寿君さん

ありがとうございます。
小説の資料として知りたかったもので…。
後漢書の記述も併せていただき、感謝です。
(W53SA/au)
70 清岡美津夫
こんにちわ。横から補足、失礼いたします。
『後漢書』本紀によると張温が車騎将軍なのは中平二年八月から中平三年二月あたりまでなので、『後漢書』陶謙伝の記述と合わせて考えると、「陶謙が徐州「刺史」に任命されたのは、中平5年(188)」と考えるのは厳しいような気がしますね。
(PC)
71 公孫祐
〉清岡美津夫さん

補足ありがとうございます。
ということは、中平5年以前になりますか…。
調べれば調べるほどややこしくなりますね(汗)
(W53SA/au)