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謎多き韓遂

天草さんスレ「三国志の謎」でこの人を出させて頂きました!
んで彼のことについて、また新たに知ることがあればいいな♪と思いスレ立てました!

韓遂のすべての情報、又はこんな人だったのでは?というのも是非、お聞きしたいです!
(W11K/au)
30 無問題
天草さんありがとうございました。ふ〜ん…、そうですか〜。その閻行という人物、若かれし日の馬超を半殺しにした人物ですよね。彼は曹操に下るべきだと思っていたんですね。う〜ん…、ということは彼の軍勢は一枚岩ではなかったと言うことですかね?
(W21K/au)
31 赤龍
韓遂と閻行の件、全体的に見ればむしろ曹操の離間の計が成功したと見るべきでは?
中央の干渉を極力排し、独自の勢力を維持しようとする韓遂と、積極的に中央の支配を受け入れそのもとで身分を保証してもらおうとする閻行。という意見の相違でしょうか?両者の地位・出自の差も気になります。これは韓遂に限らずいろんな勢力で見られる問題ですね。
(J-SA05)
32 天草
一年後のレスw

>>31
離間の計をしたはずが、離間の計に引っ掛かってたと?
う〜む…さすがは曹操…。
(N902i/FOMA)
33 孫(みらう)
韓遂 字は文約 もとは韓約という名だった(董卓伝より)
韓約は宦官どもを誅殺せよと説得したが、何進が聞き入れなかったので帰国を願い出た(曹操)
いいやつだったんですよ若い時は

涼州が韓約・辺允に千戸侯の懸賞をかけたので、韓約は韓遂、辺允は辺章と変名した(霊帝紀)
罠にはめられたくさいですよ

韓約から、朝廷には必ず遷都させるようにとの手紙が来ている。もし大軍が東進してきたら我は救援してやれないぞ(董卓伝
結構な大口も余裕ですね

韓遂は鎮西将軍に任じられて金城に帰還(馬超伝
まあかなりの上位ですねこれは

韓遂は軍勢を失い、羌族の部落をつたって西平の郭憲に身を寄せた・・・・「人が追い詰められて我を頼りにして来たのに、どうしてそれを危難に陥れられようか?」(王脩伝
部族に大人気のご様子

韓遂は羌族・胡族一万騎余りを率いて(曹操
ちゃっかりしています

韓遂軍を大破し、その旌麾を奪い取り、略陽に引き返して興国を包囲した。氐王千万は馬超のもとへ逃走し、残党は降服した、》。韓遂はそのまま西平まで逃走した(夏侯淵
どこまでも負けません

、韓遂は羌族の部落に逃げ込んで病死し、秋には劉璋が益州を失い、二十年秋には、漢中の張魯が曹操に降ったのであった(周羣伝
何だかんだで部族に逃げ込めるってのは支持が厚かったからですよね
(PC)