80 寿君
劉備は持久戦になる可能性に対する準備不足が考えられます。
武陵蛮を煽動している訳だから、得意のゲリラ戦で粘り強く戦う事も出来たはず。
翌年には死去しますから、焦りがあったのではないでしょうか?。
敗戦のショックでと言うよりはそんな感じもしますし、曹操にしても漢中戦あたりは、冴えが感じられないので、年齢的な判断力の衰えも感じなくはありません。
ただ、蜀軍の兵力が実際どれぐらいだったかも不明瞭なのも困ります。
4万と言うのが先鋒だけなのか?総兵力なのか?武陵蛮からの援兵がどれぐらいだったのかも不明。
それに、武陵蛮援兵の規模によっては、前線に置いて規律正しく動かせたかも気になります。


まあ、判らないから仕方ないけど(*_*)
(P905i/FOMA)