96 しす
>>93の圭破龍文さんの天草さんの説への反論ですが、一応説明はつけられると思いますよ。
もし仮に諸葛亮の「天下三分の計」が荊、益州の二つで完結していたとして…。
蜀は一応「漢朝復興」を大義名分として掲げています。
つまり諸葛亮の頭の中で完結していたとしても、「ここで終わり」と宣言するわけにはいかない。
つまり蜀という国の存在意義を示すために一進一退の軍事行動を続ける必要があったとも考えられます。
特に益州人にしてみれば蜀は劉備という外部勢力によって立てられた征服王朝ですし、内なる不満を外に向けるためにも仮想敵国が必要だったという考え方もできるのではないでしょうか?

ま、私の考えとしては完結だとは思ってませんが、荊州失陥の時点で「統一」から「維持」への方針転換があり、北伐も上記の理由と国家維持のための国土拡充を狙ったんじゃないかと単純に考えています。
(PC)