1 大伴

麋竺、孫乾、簡雍

通俗演義では孔明登場後、どんどん影が薄くなる三名。三国志の許麋孫簡伊秦伝でも記述は少なく、陳寿の評も伊籍と四人纏めて述べられています。この三名は(麋竺は蜀書、季漢輔臣賛の弟の項目で名がでますが)、先主伝に数回名がでる外は、許麋孫簡伊秦伝にしか名のでない人達で、裴松之もまったく注で触れていません。

ここではそんな地味な三人について語っていきましょう。
(F2102V/FOMA)
86 公孫祐
またもや麋竺マニアです(^_^;)

成都の「九里堤」は、もともと「麋●堰」(●化けて読めず)と言って、麋竺が築いたってホントですか?

しかもその後は「諸葛堰」になったとか…(-.-;)

中文サイトで見つけたんですが…。
(W53SA/au)
87 雲畜斎
劉備に着き従っていた為、流浪の日々に大半を費やしてしまい、蜀を得て定住した後も、蜀には史官が居なかった(らしい)為、彼らを含めて、人物歴を記した資料が甚だ乏しかったのでしょう。

蜀は「人材不足」ではなく、「歴史に名を残した人の数が少なかった」のだと思います。
(N906imyu/FOMA)
88 公孫祐
ふと思ったんですが、麋竺と呂不韋って似てませんか?
(W53SA/au)
89 削除済