1 中耳炎になったユウキ
諸葛センについて
諸葛亮の息子!!あまりスポットライトがあたらないですが果たしてその能力は?名声、地位、などみんなで語りましょう☆というか息子って一人だけ??
(P900i/FOMA)
21 雲畜斎
恪を絡めるとまた複雑になってしまいそうてすが、恪自身は大器には違いないですしね。それは父親の瑾も伯父の亮も認める所でしたが、同時に傲慢で大雑把な所も憂いてましたね。父親は「一族を滅ぼすだろう」とまで言ってますし、伯父はわざわざ陸遜に手紙を送ってまで恪の大雑把さを憂いてましたしね。
個人的推測ですが、瑾と亮の兄弟間での手紙のやりとりは、ある程度定期的に行われていて、その中で互いの子について都度触れられていたのではないかと。
しすサンの言うよーに、その中で瞻も早熟系だと言いたかったのかもしれませんね。
ただ恪と比べて、瞻は大器とは見ていなかったんじゃいでしょーか。
個人的推測ですが、瑾と亮の兄弟間での手紙のやりとりは、ある程度定期的に行われていて、その中で互いの子について都度触れられていたのではないかと。
しすサンの言うよーに、その中で瞻も早熟系だと言いたかったのかもしれませんね。
ただ恪と比べて、瞻は大器とは見ていなかったんじゃいでしょーか。
(N906imyu/FOMA)
22 朱家
諸葛瑾は、頭がキレて徳行に欠ける人は、余計な事を言ってしまうので、その事を心配してると思います。
>>20
単なる親バカで、本当に心配してる訳ではなく、ニヤケながら手紙を書いてるかもしれませんよ(笑)
諸葛瞻は、黄崇の進言を躊躇したり、トウ艾の襲来を速やかに姜維へ報告したのか疑問な点などは、恪に似てるかもしれませんね。
兵が分散すると思いますので、一概に諸葛瞻の選択を非難できないですが、後世の人である私には、トウ艾と平地で戦うのはね…トウ艾の威名を分かっていても、七十近い老人ですし、補給も断絶してますから、甘く見たのかなと。
てか、太守を歴任し、少なからず経験のある閻宇はどうした?まあ、ないと信じたいけど、諸葛瞻が「こちらは大丈夫」なんて言ってたら最悪(笑)
>>20
単なる親バカで、本当に心配してる訳ではなく、ニヤケながら手紙を書いてるかもしれませんよ(笑)
諸葛瞻は、黄崇の進言を躊躇したり、トウ艾の襲来を速やかに姜維へ報告したのか疑問な点などは、恪に似てるかもしれませんね。
兵が分散すると思いますので、一概に諸葛瞻の選択を非難できないですが、後世の人である私には、トウ艾と平地で戦うのはね…トウ艾の威名を分かっていても、七十近い老人ですし、補給も断絶してますから、甘く見たのかなと。
てか、太守を歴任し、少なからず経験のある閻宇はどうした?まあ、ないと信じたいけど、諸葛瞻が「こちらは大丈夫」なんて言ってたら最悪(笑)
(PC)
23 雲畜斎
確かに瞻が関を出てトウ乂と戦ったのは、ちと無謀でしたね。ってか瞻か率いた兵数って相手と比べてそんなに少なかったんですかね?朱家サンの言うとーり相手は補給もままならないだろーし、籠城して姜維と連携を取れば…
まぁそれ以前に、瞻が出陣すると同時に、成都から姜維の所に連絡が無かったのかが不思議です。そしたら少なくとも姜維の方から瞻に対し連絡があったのではと空想してしまいますが。
閻宇に関しては、蜀が呉に、魏を牽制するよーに依頼され、その際に成都から白帝城に5千の派兵があり、その兵を率いたのが閻宇とあります。(呉の朱績伝により)
ところが魏が蜀に侵入した際に成都に呼び戻された(蜀の羅憲伝により)ので…成都に居たのは間違いないのに、ホンマなにしてたんでしょーね。奥で震えとったのか?
まぁそれ以前に、瞻が出陣すると同時に、成都から姜維の所に連絡が無かったのかが不思議です。そしたら少なくとも姜維の方から瞻に対し連絡があったのではと空想してしまいますが。
閻宇に関しては、蜀が呉に、魏を牽制するよーに依頼され、その際に成都から白帝城に5千の派兵があり、その兵を率いたのが閻宇とあります。(呉の朱績伝により)
ところが魏が蜀に侵入した際に成都に呼び戻された(蜀の羅憲伝により)ので…成都に居たのは間違いないのに、ホンマなにしてたんでしょーね。奥で震えとったのか?
(N906imyu/FOMA)
24 朱家
綿竹城に籠城しても、トウ艾を足止めできないですからね。
推測を多分に含みますが、諸葛瞻が強行軍だとすると、脱落者も多く、黄崇の進言は、そのまま進軍して要害を固め、平地に出さないというもの。兵は疲労困憊だろうし、少ない兵で進軍するのは、経験不足の諸葛瞻には不可能だし、兵の集結を待ってるのであれば、躊躇するのも理解できる。
江由での降伏など、トウ艾の進軍が予想以上に速く、先鋒を派遣して時間稼ぎしようとしたが、突破され、綿竹付近には兵が集結しだしていて、退いたと…しかしながら、フ城は剣閣姜維の補給ルートである可能性が高いと思う。
上記とは全く違う見方で、諸葛瞻は自信家で、トウ艾を甘く見たり、姜維との権力争いなどで、侵入を防ぐのではなく、大きな功績を求め、平地でトウ艾を壊滅しよう、もしくはできると思って、黄崇の進言を躊躇した可能性も…?
推測を多分に含みますが、諸葛瞻が強行軍だとすると、脱落者も多く、黄崇の進言は、そのまま進軍して要害を固め、平地に出さないというもの。兵は疲労困憊だろうし、少ない兵で進軍するのは、経験不足の諸葛瞻には不可能だし、兵の集結を待ってるのであれば、躊躇するのも理解できる。
江由での降伏など、トウ艾の進軍が予想以上に速く、先鋒を派遣して時間稼ぎしようとしたが、突破され、綿竹付近には兵が集結しだしていて、退いたと…しかしながら、フ城は剣閣姜維の補給ルートである可能性が高いと思う。
上記とは全く違う見方で、諸葛瞻は自信家で、トウ艾を甘く見たり、姜維との権力争いなどで、侵入を防ぐのではなく、大きな功績を求め、平地でトウ艾を壊滅しよう、もしくはできると思って、黄崇の進言を躊躇した可能性も…?
(PC)