1 しす

鐘ヨウという人物について

演義では地味な存在だが、正史では相国、太傅にまで登り、位人臣を極めた人物、鐘ヨウ。
よく息子の鐘会の方は取り上げられますが、私は彼は息子に勝るとも劣らない人物だったと思います。
皆さんはどうでしょうか?
意見をお聞かせください。
(PC)
42 赤龍
>>41
「甥」にも色々意味の違いがあるようではっきりわかりませんが、正史及びその注の甥の用例を見る感じでは、鍾ヨウの姉妹が郭家に嫁ぎ、その間の子が郭援となるんじゃないかな?と思いました。
(PC)
43 ストラップ
>>42
やはりそちらを一般的用法と考えるべきなのでしょうね。鍾ヨウ自身と、実際に血が繋がっていると。

確かに妻方の甥ならば、(現代的な見方をすれば)郭援が死んだ時の対応が大袈裟な気はします。血は繋がっておらず、しかも敵ですからね。
又、鍾ヨウと鍾会の母のエピソードから、やはり線としては薄いかなぁと思います。鍾会の母って、恐らくは年の大分離れた女ですよね?
(F2102V/FOMA)
44 ストラップ
すいません。大事な事を忘れていました(汗)

>>42
見解を述べて戴き感謝します。


しかし>>43書いててふと考えたのですが、鍾ヨウって女性がらみのエピソードが多くないですか?
例の死体(?)を抱いていた話など。
(F2102V/FOMA)
45 ストラップ
久しぶりにageておきます。

>>>266-24-25に呂布やケイ琴、元嘯の話しをしましたが、
「杜稾鍾隷、漆書壁経」
と、鍾ヨウの名前も出ています。
「杜操は稾草(草書)の上手、鍾ヨウは隷書を作った。漆で書いた書や、壁から出てきた経書がある」
(F2102V/FOMA)