1 大伴

諸葛亮孔明A

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(F2102V/FOMA)
52 沙耶
赤龍さん>再び回答有難うございます。
ブログの記事と合わせて注も読んできました(本文しか読んでいませんでした。すいません;)

なるほど、確かに後出師の表は怪しいですね。


私も天草さん同様、まさか諸葛亮が間違えるとも思えませんし;

ただ、諸葛亮の文でも、後世の捏造でも名文ですね・・・!
取り敢えず、この文章の筆者は凄い!と、私の中では思っておきます(爆)

何か曖昧ですいません。精進しますm(__;)m
(D902i/FOMA)
53 巫俊(ふしゅん)
かつて孫家に打ち破られた王朗や劉ヨウの名前が後出師の表に出てくるので、呉国の中で真しやかに流布した文章だと考えると、すんなりするところもあります。

蜀や晋の公文書館では諸葛亮の正文とは扱われていなかったのかもしれませんが、後出師の表を記録した『黙記』という史料は『呉録』の作者張勃の子とされる呉の大鴻臚・張[イ厳]の作とされているようです。(『隋書』経籍志雑家類)
(PC)
54 赤龍
後出師の表、これも多分名分なんだろうなあと思いますが、どうも前出師の表と比べて、内容的にもやや気になったりします。
「食事を一度だけにした」とか、ことさらに自分の苦労をアピールしたり、「私は愚かなので、絶対に勝てるとはいいきれない」「ことの成否はあらかじめ予測できるものではありません」と、弱気な発言というか、言い訳がましい言い方とか。
なんというか、前出師の表のような気迫みたいなものがあまり感じられないように思えました。
偽作という疑いを持って読んでるせいかもしれませんが…。
一応フォローしてみると、第一次北伐の失敗をうけて、その分やや弱気というか悲観的な空気に、諸葛亮含めた蜀がおおわれてたためかな?なんても思ったりしました。
(PC)
55 赤龍
「故に五月瀘を渡り、深く不毛に入る」と前出師の表と全く同じ句が存在することも、偽作説を主張する人の根拠となってるようです。
「李服を任用すれば、李服は暗殺を図り」と李服なるなぞの人物も現れます。これも一応王服の誤りでは?とは言われています。
名文に水をさすようで申し訳ないのですが、疑いの目で見ると、かなり問題点が浮かび上がってくる文章のようです。
(PC)