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牛輔の部曲、董宅卓の腹心、董太后の甥という3つはそれぞれ別の史料に見えるもの。どれかが間違いの可能性もあるし、必ずしも三者が同一の董承とはいえないとも思えます。
特に董卓の腹心とする『献帝起居注』は、董卓の一族董旻、董コウと董承が並べられており、董卓の同族として書かれたととれます。すると、董太后の甥というのと矛盾してしまいますね。
(J-SA05)
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高島俊男さんは『三国志きらめく群像』中で、この3つの経歴を「どれか一つが本当だとするとあとの二つは間違い、という関係にある」としています。董太后の一族と董卓の一族という前述の矛盾に加え、太后の一族や董卓の腹心が牛輔なんかの部曲にいるはずはないだろうと。
そして、董卓の死後一族も皆殺しにあったのに、一族で腹心の者が帝のそばにのうのうといられるはずはないだろう、とこれを否定しています。
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