8 ピヨひこ
下級位から名をはせた人物といえば郭馬(交州太守?のとう允の私兵長。とう允が死に、私兵の解散が命じられたがどこかで反乱。反乱は交州一帯に広まったため晋の呉討伐を招いた。うろ覚えですいません)を思い浮かべます。
私兵長が反乱を起こせると言うことはそれだけ多くの兵をまとめれる地位にあったのでしょうか?
私兵長が反乱を起こせると言うことはそれだけ多くの兵をまとめれる地位にあったのでしょうか?
(W21SA/au)
9 赤龍
軍の編成について、例えば『尉繚子』に見える歩兵の編成は、歩兵五人に伍長、十人に什長、五十人に属長、百人に伯長を置く、されてます。他の兵書や歩兵以外の編成を見ても、長い時代を通じて(三国含む)五人一組を最小単位(伍)とし、それを基本とした編成がなされ、単位ごとにそれぞれ長が置かれていたと考えられます。
(J-SA05)
10 赤龍
ただし、三国時代の軍は豪族の私兵の集合という面も強く、その編成はかなりまちまちであったと思われます。特に豪族連合という面の強い呉では、それぞれの将が私兵を抱えてるという形がよく見られます。ピヨひこさんのあげた私兵長なんかもそうした例ですね。郭馬かあ、大学時代の研究で多少扱ったなあ…懐かしい
(J-SA05)