1 諸葛豊
陸遜について
前に正史で、陸遜が死んで家には財産らしきものが何も残っていなかった。と記述がされていて、まったくどういう意図で書かれていたのかわからないので、皆さんの知恵を拝借したいのですが…よろしくお願いします。
(N900iS/FOMA)
32 巫俊(ふしゅん)
呉郡の人で会稽郡の余姚に隠棲していた高岱を孫策の元に連れてきたのは会稽郡の丞の陸昭のようですね。会稽太守は孫策が直々に帯びているので、副官の丞は実務の官として重責を帯びていたようにも想像されます。郡内には都尉もいるので、郡内での地位はそれほど高くないのかもしれませんが。
討逆伝中のこの呉録の記事の編年的配置から見て、陸昭が会稽郡丞だったのは孫策が負傷死する200年の前後と推定されます。孫権が会稽太守の印綬を引き継ぐと顧ヨウが会稽郡丞に就任していますから、顧ヨウは陸昭の代わりという感じですよね。
それにしても高岱を陥れて孫策に斬らせるように仕向けたのは誰なんだろうか。
まさか陸昭が...という気がしないでもないですが、よく分かりません。
討逆伝中のこの呉録の記事の編年的配置から見て、陸昭が会稽郡丞だったのは孫策が負傷死する200年の前後と推定されます。孫権が会稽太守の印綬を引き継ぐと顧ヨウが会稽郡丞に就任していますから、顧ヨウは陸昭の代わりという感じですよね。
それにしても高岱を陥れて孫策に斬らせるように仕向けたのは誰なんだろうか。
まさか陸昭が...という気がしないでもないですが、よく分かりません。
(PC)