10 諏訪
孫和の母親の王夫人は、重んぜられるようになると、孫権から寵愛を受けた女性たちを都から追い出しています。
一方、全公主(孫魯班)の母親の歩夫人は、しばしば後宮の他の女性たちの後ろ楯になったといいます。
王夫人と全公主の対立は、個人的感情だけではなく、後宮全体を巻き込んだ対立の可能性があります。

孫登の母親がわりになった徐夫人が皇后に立てられなかったのも、嫉妬深いという理由からでした。
本来ならば、太子の母親が皇后に立てられるべきなのでしょうが、皇后には後宮のまとめ役という役割もあり、徐夫人や王夫人はこの点にそぐわないために、皇后に立てられなかったのではないでしょうか。
(W51S/au)