1 ヤスシ

泣いて馬謖を斬る?斬らない?2

街亭の戦い・馬謖・諸葛亮孔明・王平・張コウの話し…。
前スレは盛り上がりましたので、引き続きお願いします!

参考
>>>5…前スレ
>>>55…諸葛亮スレ1
>>>157…諸葛亮スレ2
>>>239…馬氏五兄弟スレ
(PC)
97 赤龍
ついでに、>>78でも天草さんが指摘されてるように、街亭での両軍の兵力差について触れられてる記述はどこかにあるのでしょうか。
魏軍の方が兵士数でも勝っていたということを前提に議論が進められがちになっているので。
両国の国力の差とかいう単純な前提はわかりますが…。
例えば、諸葛亮伝注の『漢晋春秋』には「大軍が祁山、箕谷にいたときは、いずれも賊軍より多数であった」なんて、むしろ蜀軍の方が兵数は有利だったような書き方もされてますし、馬良伝にも馬謖に大軍(大衆)を統べさせたと書かれ、馬謖軍自体もそう少なかったわけでもなさそうです。
ここでも、前提とされてる常識の確認の必要を感じます。
(PC)
98 巫俊(ふしゅん)
『漢晋春秋』は諸葛亮側をひいきしてる可能性を留意しないといけないですけど。

街亭の戦い自体はともかくとして、街亭を喪失した時点で蜀側に二の手が無かったこと(もしくは損耗をきらって撤退した?)、
関中平野の魏軍の数こそ用意不足だったとしても増援の数は時間を経過するにつれ増えるだろうこと、
魏延が参加していないこと、
蜀にとって魏は脅威であるが、魏の地方の軍にとっても諸葛亮の軍は脅威だったこと。
実はギリギリの戦いをしていただろうこと(張合βの活躍がそれだけ目立つ)。
それでいて関中全体で戦力的に蜀に優位だったとしたら、諸葛亮は臆病だったということになること(簡単に関中を掌握できるような数がないか、そうでないとしても敵の増援は相当数あるはず。そこら辺は漢の劉邦の北伐と違うところ)

といったところじゃないでしょうか。
局地的にはともかくとして、魏の数も複数の地域から集めてくれば少ないとはいえない。むしろ多いはずだけど。この時代増援のない時代というわけでもないし、関羽の北伐のときだって曹操軍の援軍が用意されています。漢水流域は洪水のなかだというのにです。
(PC)
99 巫俊(ふしゅん)
×魏延が参加していないこと
○魏延が街亭に参加していないこと
(PC)
100 巫俊(ふしゅん)
兵力的にはどうあれ、街亭の戦いの結果、諸葛亮は撤退を決定したんですよね。

三郡を捨ててでも帰るという状況だったのに蜀の方が数が多かったら、あとは兵糧か魏将や地形がよほど険阻だったか、どちらにしろ兵力的に蜀が勝っていたとすると、ほかの条件がより酷い状況だったということいになりますが、、、
つまり魏の数は最終的には多い説が私の考えです。
三郡の人口をいっしょに連れて帰るだけのゆとりはあったようですから、蜀軍は壊乱した訳ではないのも言うまでもないですね。
(PC)