1 無問題

三国時代の仏教

今我々の宗教とされている仏教ですが、三国時代に仏教というものはどれくらい広まっていたのでしょうか?有名な話が徐州の乍融の話ですが、姉が授業で『孫権の母は仏教徒で孫権は呉に仏教の寺院をつくった』という話を習ったと聞いたんでちょっと気になりました。
(W21K/au)
12 きいち
亜は→は(ちょっとキーボードが滑りました(^o^;
念のためこの呼び名と含む範囲については異論があることも追記します♪
(PC)
13 巫俊(ふしゅん)
写真を見たことがあるんですが、三国時代の蜀で彫られた磨崖仏が現存しているようですよ。
蜀には仏教徒がすでにいたようですね。
(PC)
14 赤龍
>>13
多分、四川省楽山市麻浩崖墓の内壁に見られるもののことだと思います。
これについては、金文京『中国の歴史4 三国志の世界』(講談社、2005)に写真と説明があります。この本は当時の仏教のことにも色々言及していて面白いですよ。
同書を元ネタにした駄文
http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/50032514.html
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15 巫俊(ふしゅん)
>>14
それです、それです。
金文京『中国の歴史04 三国志の世界』(講談社、2005)は昔読了したんですけど、仏教関係のことはもう忘却していますね。。
最後に読んだのはたぶん、去年の梅雨時期だったような気がします。

三国の仏教といえば、
初期仏教は「道教」と呼ばれたということが面白いところです。
あとは江北の武将のサク融ですね。
あとは秦の始皇帝が北方の異民族の影響を受けて金人を造ったという説話がありました。
たぶん比較的始皇帝より後代の文献に書かれた説話なんですが、当時(三国以降)の中国仏教徒の感覚からすると、これも仏教のことだと解釈されてもよさそうな感じです。
もちろん、その金人は仏教の塑像ではないのですけど、ジグラッドの信仰など中国には西アジアからの影響が早くからありました。
仏教もその流れですね。
南伝説というのもありますが。
(PC)