40 赤龍
>>39
三百戸という加増自体も、曹操時代に限ればごく当たり前の数字のようです。曹操の臣で例外的に一度に千戸以上の加増といえば207年の夏侯惇に対する千八百戸、荀イクに対する千戸の加増が目立つくらいでしょうか。この二人が特別扱いだったことが、こうした数字からもわかりますね。
一般的には一度に数百個程度の加増。郭嘉の死による八百戸加増が得に目立つくらいです。この夏侯淵の場合も三百戸という数字自体はその中にあってまったく普通なものです。

さてとりあえず、現状としては「八百戸」という数字を認めるしかなく、こうした場合、安易に自分のイメージに史料を引き寄せて(千の字をつけるという)結論を出そうとするより、むしろなぜ諸将の領邑がこうした数字になっているのかということを考える方がより大切なのではないかと思います。
と、難しげなこと書きましたが、そこまで深入りすると私もまだよくわかんないんですよね(苦笑)ぼちぼち調べてみます。
(PC)