6 朱家
無問題さん、お久し振りです。彼も名士で清流派に数えれると思いますが、帝室尊重は希薄ですし、孫権に暇を貰い、曹操に仕えるのが筋だと思います。元々孫策に仕えてますから孫権に義理はないと考えてたのか、孫策との差が大きかったのか、孫策に比べたら当時は頼りなかったと思いますが、資質を見抜けなかったとは思えないんですよね。まあ彼自身がどこでも位を極め自信があり、それなら中央のほうがいいやと思ってたのかな。
(A1304T/au)
7 無問題
孫権とうまがあわなかったとか?あるいはいずれ曹操に降ると見通していたのではないでしょうか?あと、この人はいろいろな君主につかえた事が有名ですよね。最初は可進につかえその次に董卓、袁術、孫策、孫権、曹操とうまい具合につかえてますね。
(W21K/au)
8 ストラップ
「三国志」では善人の印象ですが、「後漢書」では皇后を引っ張り出したりと、けっこう荒くれ者ですよね(笑)
しかし僕はこれは撞着するものでは無いと思います。陳寿が政治的圧力に負けたとか、范曄が出鱈目の史料を用いたとかとする事は無いと思います。
もっとも、その可能性はあると思いますし、それが両方であってもやはり、二律背反するものでは無いと思います。
しかし僕はこれは撞着するものでは無いと思います。陳寿が政治的圧力に負けたとか、范曄が出鱈目の史料を用いたとかとする事は無いと思います。
もっとも、その可能性はあると思いますし、それが両方であってもやはり、二律背反するものでは無いと思います。
(F2102V/FOMA)