31 巫俊(ふしゅん)
>演義
講釈師の語りかける言葉のひとつひとつが、聞き手に真実性を感じさせたり、
ここぞという場面で聞き手側が興奮してきて、男子の生き様とはかく如きものか!と感涙したりする頃には、
立派に演義が歴史を体現するものとして受け止められているような気もします。
なんていうか、一般大衆にとっては太宰治の小説が歴史そのものだったように、
ある意味歴史事実であるかのように振舞っている..という性質は演義にありますよね。
>金田一京助氏が、色んな辞書編纂に名前を貸した事
近所の図書館で、そんな感じのことを書いた新刊を読んだばかりです。
名前貸してくれって電話がかかってきたから、「いいよ」って返事したけど、その後連絡もとってないし、どんな本になってるかも知らない...
なんてお話が紹介されていました。
講釈師の語りかける言葉のひとつひとつが、聞き手に真実性を感じさせたり、
ここぞという場面で聞き手側が興奮してきて、男子の生き様とはかく如きものか!と感涙したりする頃には、
立派に演義が歴史を体現するものとして受け止められているような気もします。
なんていうか、一般大衆にとっては太宰治の小説が歴史そのものだったように、
ある意味歴史事実であるかのように振舞っている..という性質は演義にありますよね。
>金田一京助氏が、色んな辞書編纂に名前を貸した事
近所の図書館で、そんな感じのことを書いた新刊を読んだばかりです。
名前貸してくれって電話がかかってきたから、「いいよ」って返事したけど、その後連絡もとってないし、どんな本になってるかも知らない...
なんてお話が紹介されていました。
(PC)
32 巫俊(ふしゅん)
例えば後漢書孔融伝によると、
周の武王が殷の紂王を放伐したとき、武王は傾国の美女である妲己を捕らえて弟の周公にくれてやった。
なんて故事が登場したと思います。
これは歴史事実じゃなくて、孔融が曹操の女好きを皮肉ったもので、歴史事実とは案外こんなものだったのでしょう、と言っているのですが、虚構のストーリーが歴史をつくるということもあると思うんですよね。
というか殷周革命って、封神演義のイメージをとりはらうと、どれだけの人に認知されているだろう?って思いますから。
三国志だって、コーエーの顔グラフィックのおかげで、正史が身近に感じられるというか、呉の顧ヨウの列伝を読んだりするときに、ゲームのことが念頭にあるから、一層正史の記述がひきしまって見える、、そんなことがあるような気がします。
だって三国時代の終焉から30年ばかり後の、五胡十六国時代の武将って、顔グラがないせいで史書読んでもイメージしにくいんですよ(笑)
周の武王が殷の紂王を放伐したとき、武王は傾国の美女である妲己を捕らえて弟の周公にくれてやった。
なんて故事が登場したと思います。
これは歴史事実じゃなくて、孔融が曹操の女好きを皮肉ったもので、歴史事実とは案外こんなものだったのでしょう、と言っているのですが、虚構のストーリーが歴史をつくるということもあると思うんですよね。
というか殷周革命って、封神演義のイメージをとりはらうと、どれだけの人に認知されているだろう?って思いますから。
三国志だって、コーエーの顔グラフィックのおかげで、正史が身近に感じられるというか、呉の顧ヨウの列伝を読んだりするときに、ゲームのことが念頭にあるから、一層正史の記述がひきしまって見える、、そんなことがあるような気がします。
だって三国時代の終焉から30年ばかり後の、五胡十六国時代の武将って、顔グラがないせいで史書読んでもイメージしにくいんですよ(笑)
(PC)
33 ストラップ
三国志演義って多くのバリエーションがあるんですよね?
これらについて詳しい人はありますか?
ご教授戴ければありがたいです。
三国志演義のバリエーションは、例えば映画「ブレードランナー」や小説「銀河鉄道の夜」に様々なエンディングがあるのとは訳が違うと思うんですよ。
三国志演義の場合は、元の作者(とりあえず羅貫中)が改めたものでは無く、後の人が(勝手に)改作したものですから。
中国の文化って、恐らく「改良」なら改作は許される文化なのだと思います。墨子や孫子にも後世に追加されたと考えられる部分はあるみたいですし。
現在中華人民共和国が、著作権という概念が通用しにくい国である理由の一つは、この事が関係するのだと思います。
改作が容易な写本の文化を長く持ち、故意の改作も容認されて来た事が、原本を尊重する事を蔑ろにし、結果書物が著者の著述というよりも大勢の共有財産と認識されていた様な気がするんです。
これらについて詳しい人はありますか?
ご教授戴ければありがたいです。
三国志演義のバリエーションは、例えば映画「ブレードランナー」や小説「銀河鉄道の夜」に様々なエンディングがあるのとは訳が違うと思うんですよ。
三国志演義の場合は、元の作者(とりあえず羅貫中)が改めたものでは無く、後の人が(勝手に)改作したものですから。
中国の文化って、恐らく「改良」なら改作は許される文化なのだと思います。墨子や孫子にも後世に追加されたと考えられる部分はあるみたいですし。
現在中華人民共和国が、著作権という概念が通用しにくい国である理由の一つは、この事が関係するのだと思います。
改作が容易な写本の文化を長く持ち、故意の改作も容認されて来た事が、原本を尊重する事を蔑ろにし、結果書物が著者の著述というよりも大勢の共有財産と認識されていた様な気がするんです。
(F2102V/FOMA)