8 朱家
毋丘倹の時に、孫峻が侵攻してました。失礼しました。記憶はあてにならん(笑)反省します。
諸葛恪は、孫権が死んで僅か一年半で殺されてます。この間に、権力握って、魏を撃退し、魏に侵攻してる。なんと忙しい事か(笑)ちなみに、毋丘倹の乱が255年で、恪の死は253年です。
王凌は、若くて帝を担えないから代えようとしてます。曹爽、司馬懿の影響もあるでしょうが、これは筋が通らないでしょう。注釈で、子の王広は正論で反対してる(裴松之は作者の創作だろうと言ってるが)
忠義の反乱と言えば、聞えが良いでしょうが、司馬氏は良い政治を行ってますから、取って代わる野心が無ければ反乱出来ないと思いますね。諸葛誕は違いますけど…子飼いではないですが、この人は曹爽派の人間ですからね。
(EZ)