1 しす
早すぎた死、孫堅スレ
(PC)
76 赤龍
難しい問題なので、私もはっきりとした答えはだせませんが、少しまとめてみましょう。
まず青綬について。『後漢書』(『続漢書』)の與服志の青綬の項目には「九卿、中二千石、二千石は青綬」とあります。
そもそも「綬」とは、「印綬」とセットで熟語になることもあるように、印にくっついてるひもと思って頂ければいいでしょう。この印と綬の色や長さで、その人の身分を表したということです。
なので、大体二千石相当の官の人の綬は青綬だった。これが転じて「青綬」といえば二千石相当の官の人を指す言葉になったわけです。
同じく『後漢書』の百官志を見ると、郡太守は二千石とあります。郡太守や州牧、九卿あたりが「中二千石、二千石」の官にあてはまります。青綬は地方長官、中央の高官クラスということですね。
よって、文の解釈は一事置いて、孫堅が「青綬」と呼ばれること自体は何の問題もないということになります。
まず青綬について。『後漢書』(『続漢書』)の與服志の青綬の項目には「九卿、中二千石、二千石は青綬」とあります。
そもそも「綬」とは、「印綬」とセットで熟語になることもあるように、印にくっついてるひもと思って頂ければいいでしょう。この印と綬の色や長さで、その人の身分を表したということです。
なので、大体二千石相当の官の人の綬は青綬だった。これが転じて「青綬」といえば二千石相当の官の人を指す言葉になったわけです。
同じく『後漢書』の百官志を見ると、郡太守は二千石とあります。郡太守や州牧、九卿あたりが「中二千石、二千石」の官にあてはまります。青綬は地方長官、中央の高官クラスということですね。
よって、文の解釈は一事置いて、孫堅が「青綬」と呼ばれること自体は何の問題もないということになります。
(PC)
77 赤龍
さて、石井氏の説である、胡軫の部下は?
胡軫自体は太守であり青綬。その下にいた騎督の呂布は騎都尉、比二千石でおそらく青綬。その他多数の歩騎の将校都督がどの程度の地位だったか、私にははっきりわかりません。ただ、上の説明のように「青綬」はかなりの高官。相当の地位にある部下を斬ることになります。
胡軫自体は太守であり青綬。その下にいた騎督の呂布は騎都尉、比二千石でおそらく青綬。その他多数の歩騎の将校都督がどの程度の地位だったか、私にははっきりわかりません。ただ、上の説明のように「青綬」はかなりの高官。相当の地位にある部下を斬ることになります。
(PC)
78 赤龍
ちくま訳では>>71の「乃ち整斉するのみ」を反董卓軍との戦いの沈静化ととらえ、石井氏は軍の秩序の乱れの引き締めととらえたわけですよね。
ちくま訳では、直前の胡軫のせっかちな性格「性急」にうまくつながるように感じます。
胡軫の言葉に「諸将聞きて、これを悪む」がうまくとれないようにも思えますが、単純さ、あるいは大言壮語あたりが反感を買ったのでしょうか?
一方石井氏訳では、諸将の反感にはうまくつながりますが、部下の将校都督の数が多いというだけで、軍内の乱れなどは特に書かれておらず、唐突な発言の印象をうけます。以下に続く文には胡軫軍が内部の乱れから崩壊する様が書かれますが、これは胡軫の宣言による反感の後のこと。全く逆の問題が生じたわけです。
というようなわけで、私はどちらかといえばちくま訳の方が素直な解釈で、石井氏の解釈は無理に自分の専門分野に結び付けてしまった印象を受けます。あくまで私個人の印象で、自信はありませんが。
以上長々とすみません。
ちくま訳では、直前の胡軫のせっかちな性格「性急」にうまくつながるように感じます。
胡軫の言葉に「諸将聞きて、これを悪む」がうまくとれないようにも思えますが、単純さ、あるいは大言壮語あたりが反感を買ったのでしょうか?
一方石井氏訳では、諸将の反感にはうまくつながりますが、部下の将校都督の数が多いというだけで、軍内の乱れなどは特に書かれておらず、唐突な発言の印象をうけます。以下に続く文には胡軫軍が内部の乱れから崩壊する様が書かれますが、これは胡軫の宣言による反感の後のこと。全く逆の問題が生じたわけです。
というようなわけで、私はどちらかといえばちくま訳の方が素直な解釈で、石井氏の解釈は無理に自分の専門分野に結び付けてしまった印象を受けます。あくまで私個人の印象で、自信はありませんが。
以上長々とすみません。
(PC)