1 爺
ホウ徳について
彼は何故、馬超から離れ曹操に仕える事が出来たのに、劉備には仕える気になれなかったのか…。
初心者(資料等、何も持ち合わせていない)ゆえ、詳しい事は何も知りません。
彼の一生(環境等含め)を詳しく、教えていただけますようよろしくお願いいたします。
m(__)m
初心者(資料等、何も持ち合わせていない)ゆえ、詳しい事は何も知りません。
彼の一生(環境等含め)を詳しく、教えていただけますようよろしくお願いいたします。
m(__)m
(SH901iS/FOMA)
11 天草
>>10
やや!!
これはおもしろい☆
ホウ徳に異民族の血が流れていたというのは面白い考え方ですね。
兄や従兄と分かれていたのはなぜなんでしょうか?
もしや本気で個人的に五斗米道に心酔し、張魯繋がりで曹操に降伏していた…なんてことだったら面白くないですか?
やや!!
これはおもしろい☆
ホウ徳に異民族の血が流れていたというのは面白い考え方ですね。
兄や従兄と分かれていたのはなぜなんでしょうか?
もしや本気で個人的に五斗米道に心酔し、張魯繋がりで曹操に降伏していた…なんてことだったら面白くないですか?
(PC)
12 巫俊(ふしゅん)
>>11
馬超といっしょに蜀に投降したとか?
別経由で蜀入りしててもいいと思いますけど(未確認)。
これまた証拠のないことですけど、
同じく西方の他の豪族たちの中には羌族と血縁を維持していた人たちがいましたから、史書に登場するような男系の祖先は漢族で占められていたとしても、DNA上は男女均等に遺伝しますから、母系の遺伝子の集積がホウトクのあの身体をつくったのかもしれないなどと考えてみたり。
馬超派の武将ながら、曹操陣営で目立った戦績を残して、魏書の中に代表的な魏将とともに列伝を立てる結果を残したホウトク。
馬超といっしょに蜀に投降したとか?
別経由で蜀入りしててもいいと思いますけど(未確認)。
これまた証拠のないことですけど、
同じく西方の他の豪族たちの中には羌族と血縁を維持していた人たちがいましたから、史書に登場するような男系の祖先は漢族で占められていたとしても、DNA上は男女均等に遺伝しますから、母系の遺伝子の集積がホウトクのあの身体をつくったのかもしれないなどと考えてみたり。
馬超派の武将ながら、曹操陣営で目立った戦績を残して、魏書の中に代表的な魏将とともに列伝を立てる結果を残したホウトク。
(PC)