1 赤龍

泣いて馬謖を斬る?斬らない?3

ついに3つ目に突入。
街亭の戦い、「泣いて馬謖を斬る」に関すること、諸々引き続き討論していきましょう。

参考
>>5…泣いて馬謖を切る?切らない?
>>276…泣いて馬謖を切る?切らない?2
(PC)
11 斎藤一
スレタイから手早く答えると俺がトップなら斬る。
契約作業員の俺の見解ですが…
1、どんなに有能でも一日の決められた作業が出来なければクビ
2、上司の意向に従わぬ者もクビ
3、仲間に危険を及ぼした者もクビ
まぁ現代も昔もかわらないんだよな
(P902i/FOMA)
12 巫俊(ふしゅん)
私の大学の先輩は、「泣いて馬謖を斬る」の例えを引き合いに出されて単位を落とされました(笑)
その教授は全然泣いてなかったそうです(笑)
ひでえ
(PC)
13 天草
この厳しい処置は、孔明が涙を流したと伝えられたことで(本当はどうだか…)美談に見えますが、実際の社会では話が別に思えます。
社会人の方なら心当たりがあると思いますが、言わば中間管理職(この時点ではある意味最高責任者か?)にある孔明は非常に難しい立場です。
兵らに気を遣わなければなりませんし、甘やかせているだけでは統率が取れません。
この場合現代でいうなら、会社(北伐の蜀軍)に著しく不利益を出し、倒産寸前にまで追い込んだ馬禝を解雇して、刑事事件として告訴…どころか死刑にしたという感じでしょうか?
問題はこの時の他の社員(将兵)の気持ちですよね。
現代の常識で言えば、管理職は嫌われて当然。私なら逆に甘い事ばかり囁く管理者よりも、下から嫌われるくらいのしたたかな人間の方が管理職として評価できると思っています。

では諸葛亮はどうだったのでしょうか?当時の将兵はこの采配を本当に絶賛したのでしょうか?
また馬禝が他の将兵や民にどう思われていたのか?も当時の蜀の世論を左右しそうです。

長文になりましたが、私が言いたいのは、「泣いて馬禝を斬る」の故事自体、創作である可能性はないのか?という点です。
実は(逃亡説などにより)処刑が当然だった、この結果が誰もが納得するだけの原因があった。
もしくは180度反対で、美談などではなく、周りの者はみな引いていた。美談にしたのは陳寿をはじめ、語り継がれた末の事だったのではないか?と思い始めてます。
(N902i/FOMA)
14 飛燕
話ズレますが、最近陳寿の史家としての評価が、僕の中で下がりつつあります。明らかに諸葛亮伝の最後の部分は「誉め過ぎ」、だと思うのです。これじゃ、嫌いな人物の伝に、悪口を書きなぐってるのと同じだと思うのです。相当私情を入れてる気がするのです。
そういう訳ですから、陳寿によって美談にされ、故事化された、という説は充分有り得ると思います。
と、するとこの話は、おそらく蜀国内で結構騒がれたのでしょう。そうでなければ、美談にする必要無いですからね。
しかし、馬ショクヘの処刑判決、これは騒ぎを起こすほどの"異例"とは思えません。と、いうことは、おそらく馬ショクは国内で相当の支持を受け、将来の人物と期待されてたのでしょう。だから、処刑判決が騒ぎになったのでしょう。

たいした意見でなく、いきなりの長文すいません(汗)
(F900iC/FOMA)