1 天草

ここが違うよ。演義と正史

最近は討論場が落ち着いているようなので、一つ企画モノを提案します。

我々を魅了して止まない最高の小説・三国志演義と、博物館のバイブル正史・三国志。
この両者には、数多くの違いがありますよね。

決定的な違いから、意外な違いまで、多くのものを集めて、『初心者の館』コーナーで発表したく思います。

ドシドシ、気が付いたものを書き込みください。
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12 赤龍
>>>94-23でもふれられてますが、正史と演義で死に場所・死に様が違う人も多いですね。
特に関羽の死に関わった人達は、祟りにあったり、蜀将に殺されたりと、念を入れて復讐が行なわれてますね。
(PC)
13 天草
>>11を読んで思いましたが、人によって『演義』と呼ぶ作品に違いがあるのでしょうね。

通俗演義を『演義』と呼ぶ人、吉川作品を『演義』と呼ぶ人…ごちゃ混ぜになってる方も多いでしょう。

博物館内では、一般に『正史』とは『三国志』『後漢書』などを指しますが、『演義』も何を指すのか?これを明記した方が良いのかも知れませんね。
初心者の館に掲載する内容は『正史と演義の違い』、『通俗演義と吉川三国志の違い』という二つの項目を作った方がより分かりやすい気もしてきました。

スレ違い、申し訳ありませんでした。
(N902i/FOMA)
14 しす
>>13
演義の前身である平話などもありますから、正史としての三国志と小説としての三国志という区切りでもいいんじゃないですか。
吉川三国志=演義と言うよりも、吉川三国志=三国志と誤認している人の方が多い気がしますしね。
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15 巫俊
しすさんがおっしゃってるように、いっそのこと正史を神話学の立場から書き換えて叙述していみると物語として一番鋭さが増すかもしれません。
正史の良いところは、演義のようなクサい演出が制限されていることで、それは中国の正史の人物伝が現実主義によって書かれているからですが、ここに神話学的な立場からの現実主義(つまり人間のそうありたいとという願望を物語として表現できる神話的表現)を加えれば、文字通り三国志版のスターウォーズになってしまうと思います。
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