1 シャムロット

歩隲

いろいろ知りたいので知ってる人いましたらよろしくお願いしますm(__)m
(N902iX/FOMA)
6 赤龍
シャムロットさん、はじめまして。
歩隲、演義では諸葛亮に論破される地味な文官の一人というイメージですよね。
一方、正史の記述を見ますと、交州刺史に任命され、交州を呉の支配下に入れることに成功。
呉が関羽を破ると、長沙へ移され、荊州南部の反抗勢力の討伐に活躍。
孫権が即位した頃、陸遜に代わって、蜀への抑えの要地である西陵の都督に。
このように、実は生涯の大半を、一軍を率いて地方の重鎮として活躍した人物です。地方での行政に加え、軍事面でも成果をあげている、実はかなりの大物だったと思われます。
(PC)
7 赤龍
ちなみに、歩隲は呉の四代目の丞相ですが、丞相に任命されたのは246年9月。そして247年5月に死去。在任期間はわずか一年にも満たないものでした。
前任の丞相の陸遜も、244年正月に任命。翌245年2月に死去と、在任期間わずか一年ちょい。
(PC)
8 巫俊(ふしゅん)
西陵は夷陵の別名ですね。と分かりやすさを心がけて追記してみましょうか。
(PC)
9 赤龍
ちょっと>>7の内容の付け加えですが、
二代目丞相顧雍の死が243年10月。
247年正月には右大司馬全ソウ死去。
249年3月には左大司馬朱然が死去。
また、243年の春に薛綜が、冬には関沢が死去。
さらにこの当時は、後継者争いの二宮事件で非業の死をとげた者も数多い。
この時期は、呉の中期を支えた名臣たちが次々に世を去り、呉の人材面でのダメージはかなりのものだったのだろうと思います。
一方で、急速に政権中枢の世代交代も進んだのでしょうね。
(PC)