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三国時代の暦について。

人物から離れてみました。暦(正月、閏月を何月にもってくるか等)についてです。

暦は国の正統を主張するために春秋戦国時代には重要な役割をもっていたようですが、三国時代には各国が異なった暦を用いたのでしょうか。新しく暦を創るということを既にしなくなっていたのでしょうか。
(N900i/FOMA)
9 じょ〜
コーエーのゲーム、三國志\、]では、カン沢著書の乾象歴注の説明文に
『論文。カン沢の著書。歴と季節に整合性をもたせた。孫権が呉の歴法として採用』
と書かれていたので、少なくとも呉は違うようですね
(N900iS/FOMA)
10 赤龍
蜀は皆様の推測の通り、後漢に使われていた四分暦を引き続き使っています。
呉は、独自の年号を名乗った222年から、じょ〜さんのあげられた、最新の暦である乾象暦を採用してます。そして、魏では237年、乾象暦をさらに改良させた景初暦を使い始めます。
(PC)
11 赤龍
ちなみに、それぞれの暦の精度をみますと、四分暦は1年=365と4分の1日でかなり大雑把。呉の乾象暦は1年=365と589分の145日とかなり精度があがり、魏の景初暦では1年=365と1843分の455日と、さらに正確なものとなっています。
これらは金文京『中国の歴史4 三国志の世界』よりの引用ですが、最後に氏は、ここから「古い暦をそのまま使った蜀の保守性、最新の暦をいち早く取り入れた呉の先見性、そして結局はもっとも精密な暦をつくった魏の先進性」というそれぞれの国の性格を見事に表現しています。
(PC)
12 ストラップ
>>>388-25
詳しくは無いのですが、三国時代当時一月は30日なのですか?
閏月を設けて調整している事を考えると、それ位大雑把だったのかなぁ。>>11の内容からすると、そうではなさそうですが‥‥‥
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