1 くわぁまん
陳羣について…。
自分は陳羣の事あまり知らないので教えてください。m(__)m
彼が劉備陣営に残っていれば孔明の苦労も幾分緩和され寿命も少しは伸びたのでは…。ifの話です。
彼が劉備陣営に残っていれば孔明の苦労も幾分緩和され寿命も少しは伸びたのでは…。ifの話です。
(SH900i/FOMA)
29 しす
>>28
アイタタタタ…
一番やってはいけないことをやってしまったようですね。
そうなると陳羣は下野した後に徐州に移った時に呂布の招聘を受けたと考えるべきなんでしょうかね。
呂布に仕えていたとなると陳羣の印象も微妙に変わってきますね。
アイタタタタ…
一番やってはいけないことをやってしまったようですね。
そうなると陳羣は下野した後に徐州に移った時に呂布の招聘を受けたと考えるべきなんでしょうかね。
呂布に仕えていたとなると陳羣の印象も微妙に変わってきますね。
(PC)
30 ストラップ
>>29
「三国志」の立伝されている部分には、「徐州に移った」と書かれていますが、陶謙からずっと「徐州の支配者」の下で働いている人ですし、劉備や呂布に従ったのも、徐州の役人としてなのではないでましょうか?
「三国志」の立伝されている部分には、「徐州に移った」と書かれていますが、陶謙からずっと「徐州の支配者」の下で働いている人ですし、劉備や呂布に従ったのも、徐州の役人としてなのではないでましょうか?
(F2102V/FOMA)
31 赤龍
>>29
陳羣て陶謙に仕えてましたっけ?
劉備が陳羣を召し出したのは、先主伝に「陶謙は上表して先主を豫州刺史とし、小沛に駐屯させた」とある時期。演義や光栄のゲームなんかでは小沛というと徐州の中のように扱われていますが、先主伝の文をみてもわかるように豫州に属しています。つまり、豫州の人であった陳羣は、豫州刺史になった劉備に召し出され豫州の役人になったが、徐州へ行こうとする劉備と決別。後に戦乱を避け徐州へ。という経緯だと思われるので、「徐州の支配者」としての劉備には仕えてなかったのではないでしょうか。
陳羣て陶謙に仕えてましたっけ?
劉備が陳羣を召し出したのは、先主伝に「陶謙は上表して先主を豫州刺史とし、小沛に駐屯させた」とある時期。演義や光栄のゲームなんかでは小沛というと徐州の中のように扱われていますが、先主伝の文をみてもわかるように豫州に属しています。つまり、豫州の人であった陳羣は、豫州刺史になった劉備に召し出され豫州の役人になったが、徐州へ行こうとする劉備と決別。後に戦乱を避け徐州へ。という経緯だと思われるので、「徐州の支配者」としての劉備には仕えてなかったのではないでしょうか。
(PC)