1 天草

人物辞典情報募集スレ

人物辞典のさらなる発展を目指して、情報を募集します。
辞典にまだ掲載されてない人物で、独自に調べられた武将がいましたら、是非情報を下さい。
辞典の内容のような書き込みを頂けたら、ありがたいですが、そうじゃなくても構いません。
出来れば、情報のソースを書き込みいただければありがたいです。
もちろん情報提供者として、名前を載せさせてもらいます!
(PC)
97 天草
気になったので、『二陸』の追加と同時に人数を調べてみました。

魏…92人
蜀…58人
呉…52人
他…89人

計…291人
でした。
なんと、今までが100人もサバを読んで、誇大広告だったとは…(爆)


と、言うわけで、400人に追いつけるように人物紹介を随時募集してます!
(PC)
98 大伴
先ずは記述の少ない人物を優先し、数を稼ぎますか(笑)

諸葛綽
諸葛恪の長男で騎都尉だったが、孫覇の事件に深く関与した為、孫権は身柄を恪に渡し、再教育する様に命じた。が、恪は毒を飲ませて殺害した。

諸葛建
諸葛恪の末息子。恪が殺害された時は歩兵校尉であった。253年、恪が謀殺されると逃亡したが、徐平の部曲に捕らえられた。徐平はこれを逃がした。建は長江を渡る事は出来たが、北方の魏に逃げ込もうとして、数十里行った所で追っ手の兵に捕まり斬られた。
(F2102V/FOMA)
99 大伴
催州平

博陸の出身。父は太尉の催烈で、催均の弟。父は金銭によって官位を得た事から「銅臭がする」と嘲られていた。荊州時代の諸葛亮の友人で、諸葛亮の欠点を指摘できる程の中であったという。

石韜
頴川出身。字は広元。初平年間に中原で戦争が起こった為、同郷の徐庶と共に荊州に逃れた。ここで諸葛亮、孟建らと親しく交わった。後に曹操に仕官し、郡守、典農校尉を歴任した。


これで396人。
(F2102V/FOMA)
100 天草
二人を更新しました!

んで、ラスゲッツ★
(PC)