1 天草

中国史辞典

皆さん、三国志以外の歴史にも詳しいみたいですね。
残念ながら私はその辺の知識は皆無に等しいので、なかなか発言できませんが、閲覧者参加型の『中国史辞典』の作成を検討してます。

ここの辞典の作りで、皆さんに自由に書き込みいただけるようにしようかと考えてますが、いかがでしょうか?
(PC)
47 独眼龍李克用
始皇帝書いたのでここで少し解説

始皇帝が行なった政治は、今までの王朝では成しえなかった事を実現しています。それは中華全てを一つの国とすることです。春秋初期にあった国は千をこえていたといわれます。中央で全てを管理することができないからです。
それを始皇帝はやり遂げます。でもそれは、始皇帝の力というよりは秦累代の力です。秦は代々法家の偉人、商鞅、范雎、韓非子(ちなみにこの三人は終わりが悪い)などが来ており、稀にみる法治国家となっております。天下統一できたのも法の力により、軍隊が無敵の力を誇っていたからであり、始皇帝は座っているだけで天下を獲れたといっていいんじゃないかと思います。
殷、周が行なってきた封建制度を打ち壊して中央集権を行なった事は、特筆するべきところでないかと思います。ただし、中央集権なので地方を治めるのに官を中央から派遣するのだがそれには悪弊があり、楚漢戦争の折りには全く役に立たず、あまつさえは反乱軍の味方をするなどしております。秦滅亡後の王朝は王族に地方の統治をさせるなどしています。

ちなみにあまりあてにならなかったりそれほど調べたわけじゃないんで思ったことがほとんどです。
続きはまたいつか…あるかもしれない。
(P900i/FOMA)
48 大伴
「秦を滅するは胡」という予言を聞き、胡(北の異民族)を防ぐ為に、始皇帝は例の莫迦々々しい建造物を作りました。しかし滅ぼすのは暗愚な末子、胡亥でした(滅んだのは三代目の嬰の時ですが)。
まぁ予言が事実であるとすれば、上手く符合した話ですね。
(F2102V/FOMA)
49 天草
結局…始皇帝って、極悪人なのか、英雄なのか、良く分からない人ですよね?
(PC)
50 独眼龍李克用
悪人というよりは、心が狂っております。始皇帝は、生まれたときから人質生活です。さらに十代で、王となりましたから心が許せる人間などいなかったでしょう。尊敬した人間はいて、韓非子がそれですが、死なせております。
晩年は不老長寿を望み怪しい方士などの言葉を信じて、人前に姿を見せず、わけのわからない薬を飲んで精神崩壊気味だったのかもしれません。

万里の長城というのは、一から造られたものではありません。趙や燕が造っていたのをつなげて、馬が越えられないぐらいの規模しかありません。現代の長城は、明代後期の物といわれております。始皇帝は、長城だけでなくとてつもない広さの自分の墓、横幅百メートル近くの軍事用の車道、皇帝になる前に韓の鄭国にケイ水と洛水を渠を造り水路で結ばせております。水路以外は中途半端に終わりましたが、相当な規模なので始皇帝はかなりの土木狂だったんでしょう。
秦に問題があったとすれば、太子が皇帝になれなかったことでしょう。太子扶蘇は英明であり人柄も良かったといわれます。始皇帝も信頼していたらしく長城を築いていた名将蒙恬(実際はあまり戦ってないので、名将というのは疑問だが秦においては名門の武家の子)のもとに行かせてます。これは、焚書坑儒に意見したから遠ざけられたとも言わてますが、太子から降ろされていないし、普通遠ざけるなら有力な将軍の下には送ったりはしないでしょう。さらに、始皇帝は死の間際、扶蘇に跡を継がすよう言ってます。これがねじ曲げられなければ、百年以上は秦の時代だったでしょう。末子が継いでしまうから滅んだ、というよりは宦官趙高のせいでしょう。まあ、胡亥も頭が悪かったとは言われております。
趙高についてはまた辞典の方に書いてからで。
(P900i/FOMA)