54 諏訪
>>53
『漢書』「地理志」より。

「定襄、雲中、五原,本戎狄也,頗有趙、齊、衛、楚之徙。其民鄙樸,少禮文,好射獵。雁門亦同俗,于天文別屬燕。」
(定襄・雲中・五原はもともとは異民族の地で、趙・斉・衛・楚からの移住者が多い。住民は田舎じみて飾り気がなく、礼儀や文化はあまりなく、弓を射て猟をすることを好む。雁門もまた同じような風俗だが、天文については別に燕に属す。)

雁門は、前漢のころから対匈奴戦の前線基地となった地で、漢と匈奴が講和したときには交流の地になっています。

張遼の祖先とされる聶壱は雁門郡馬邑県の豪族で、前漢の武帝の時代に、降伏すると偽って匈奴をおびき寄せようとして失敗しますが、匈奴と交流のあった人物だと考えられます。
その後は改姓までして匈奴の怨みを避けようとしていますが。

>騎馬民族に騎馬でかった

柳城の戦いで張遼が騎兵を率いていたのかどうかわかりませんし、騎馬民族に勝ったというだけなら、曹彰や田豫、牽招らも勝っています。
張遼は名将だとは思いますが、このことを根拠にして優れているとはいえないと思います。
(W51S/au)