5 天草
陳寿は、複数の資料があってそれぞれに記載が異なった場合、採用を諦めていたそうです。

裴松之は当時残存していた著作140余書を網羅し、陳寿の本文の三倍の資料を集めたそうです。

従来の注は古典の字句や意味についてのみの解説であったらしいのですが、裴松之の注はそれをはるかに凌駕したものだった事が残されてるようです。
(PC)