オリつく オーナー会議
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2005/6/24 12:42
▼赤モスラ 「広島で達成することを強く思っていたし、大勢のお客さんの前で達成できてうれしい」。試合後、用意された祝賀特設ステージで野村は喜びを爆発。「栄光の架け橋」の曲が流れる中、ウイニングラン。フェンスにしがみつくファンに絶叫しながら「ありがとう」を連呼。野村は目頭を熱くさせた。
広島で記録達成することへのこだわり。それは1988年のドラフト会議で、「ポスト高橋慶」として、駒大の遊撃手・野村を優先させるか、それとも「ポスト達川」の江の川高の強肩捕手・谷繁(横浜−現中日)にするか、すったもんだした経緯を聞かされていた野村。谷繁が1位指名されていたら、ヤクルトに指名されていたが、最優先で指名してもらったことで広島を永住の地と決めた。くしくもそのヤクルトの前での達成は何かの巡り合わせだろう。
遊撃のレギュラーポジションを獲得し、95年までの5年間は全試合出場を果たすなど順風満帆だった野村。転機が訪れたのはメジャーの夢を捨てた96年からだった。突如襲ってきたケガ。96年の左足首はく離骨折に始まり、左ふくらはぎ痛、両足太もも裏の肉離れやヘルニア、右ひざ痛と故障が相次いだ。それまで「故障」の2文字とは全く無縁だった野村にとって、それから故障と戦うとは夢にも思っていなかった。
大分の整体院には暇があれば治療に出掛けるなど、10年にも及ぶ故障との戦いだったが、野村は決して故障を理由にはしなかった。「ケガは100%言い訳にすぎない」という強い信念。足の不安があっても常に全力プレー。この姿でナインを鼓舞してきた。
「野球はいいことばかりじゃない。苦しい時、こうして頑張っていれば、いいことは必ず来るんです」。野村はこう締めくくった。
6/24 12:42
▼赤モスラ記念のサインボールをスタンドに投げ入れながら、野村はスタンドに向かって何度も何度も頭を下げた。
「ありがとう。ありがとう…」
真っ赤に染まった市民球場を仰ぎ見た1打席目、野村は「足が震えた」という。赤い球場が感動に震えたのが四回の2打席目だ。川島の135キロ直球をはじき返し、打球はレフトのラミレスの前に落ち、跳ねた。
89年5月4日、同じヤクルト戦で刻んだ初ヒットから17年目、ついに2000本を積み重ねた。山本監督も成し得なかった地元での達成の瞬間だった。
一塁ベース上の野村にナイン全員が殺到する。山本監督が感極まった顔で抱擁した。古田からはお返しの花束だ。
「いいことなんか思い浮かばない。でも、一生懸命やっていたらいいことがあるんだなあ」
順調なプロ人生だった。91年の優勝に貢献すると、95年に球団史上初のトリプル3(打率・315、32本塁打、30盗塁)を達成。だが「あの32本がなければ」と言う。
ちょうど第1子を授かった時期。盛り上がる気持ちで打った32本だった。だが、アーチという魅力に取りつかれ、本来の持ち味を見失いかける。「あれが20本塁打くらいで終わっていたら、もっと早く達成した」と苦笑いする。
97年にFA権を取得。メジャーからオファーもあった。球団にも直訴した。「今でもその話はショックなんだ」と言う。イチローからは「先に行ってくれると思ったのに」と言われた。
01年、ダイヤモンドバックスが世界一になった試合を緒方と見ていた。「チャンピオンリングを巻いていたのかも」と緒方に言われた。「根性なかったんだよ」と野村は答えた。「今なら準備もできる。でも、当時は…」。夢へあと一歩が踏み出せなかった。
00年左太ももを肉離れして以来、ケガとの闘いが続く。昨年オフには右ひざを手術した。
後押ししたのがファンだった。「何を言われようが、応援してくれるファンがいる」。踏ん張れた。だからこそ「真っ赤な市民球場で達成したい」と言い続けた。
その夢はかなった。「まだまだ辞めるわけにはいかないよ」。赤ヘル魂の具現者は最後まで涙は流さなかった。
6/24 12:39
▼赤モスラ広島市民球場のファンは総立ちになり、赤色の応援シートを両手で掲げた。待ち望んだ空間で、バットを振り抜くと白球は左前に落ちた。念願の2000本目は、彼が最優先する「勝利」につながる1本だった。2005年6月23日、野村の夢がかなった。
四回の第2打席。「真っ赤なスタンドを見て、足が震えた」と初々しい思いで打席に入った。川島のカットボール。両ひじで腹を切り割くような独特のスイングで、打ち返す。「落ちろ、落ちろと思いながら走ったよ」。一塁に立った瞬間、ベンチからナインが飛び出した。夢中で山本監督と抱き合った。
夢が現実味を帯びたシーズンを前に、迷っていた。昨秋、岐阜県のバット工場に向かった。確実に衰える肉体。バットのモデルチェンジを決めた。しかし、開幕前に下した決断は意外だった。開幕戦で手にしたのは「3割30本30盗塁」を達成した1995年にも使っていた以前と同じ型。34インチ、890グラム、通常より太いグリップエンド。打撃の根幹は、全盛期と変わっていなかった。
試合後のセレモニー。大歓声に消されたが、口元は何度も「ありがとう」と動いていた。「こんなに球場が盛り上がる試合をこれからもやりたい」。野村を夢心地にさせたのは、何よりもファンの笑顔だった。
6/24 12:35
▼バンビおれもおもた。ラミ。。。
6/24 11:46
▼ララしかしラミレスもありゃ捕れるで。レフトフライや。古田-新井のお返しやね。
6/24 11:36