1 陽花

中居がサムガで父の壮絶な最期を語る@

■中居、亡き父の壮絶闘病は「生き地獄」

 SMAPの中居正広(42)がパーソナリティを務めるニッポン放送「中居正広のSome girl,SMAP」(土曜、後11・00)が16日放送され、9日の放送で父・正志さん(享年79)が2月19日に亡くなっていたことを伝え、心配する声が寄せられたことを受け「僕は全然、大丈夫」と気丈にメッセージを送った。一方、今も亡き父親の夢を見ることを明かし、「起きた時のショックっていうのは…」と最愛の父を失った喪失感を明かした。

 中居はオープニングトークで「(先週)父ちゃん、亡くなった話、したじゃないですか。友達から連絡あって、『大丈夫か』って。」と友人らから心配する連絡があったことを伝えた。

 テレビにも出演するなどファンの間でも仲良し親子として知られていた正志さん。訃報は放送翌日の新聞などで大きなニュースとなったが、「お父様は喜んでらっしゃるのかな。(仏壇の前で)チーンとかやってさ、『すげえ有名人になっちゃってるよ』って伝えた」と努めて明るく話し、「(父が亡くなって)時間がたってますから僕は全然、大丈夫」と口にした。

 正志さんは、13年2月に肺がんを患い、片方の肺を全摘出。同年秋にリンパ腺に転移し、放射線治療も行った。14年には喉頭がんに転移し、8月に手術。食事も取れない状態が約100日続いた。中居は「生き地獄」と闘病を表現した。

 亡くなる5日前、最後に口にしたのは中居の作ったカレーだった。「3口ぐらい食べたかな。『うまい』って。多分味は分かってなかったね。味覚ないから。結局、最期のご飯が俺のカレーだったのかな」と振り返り、「亡くなるときはもうね、体重も20キロ台くらいかな、骨でしたね。」と壮絶な最期を明かした。

 亡くなった今も正志さんの夢を見るという。「生きてんじゃん、っていう夢を見てんのよ。これ、起きた時のショックっていうのは…。目覚めた時、わけ分かんないよね。起きた時が夢かと思っちゃう。はっ、そうだ、死んでんだ、って」。

 お通夜が行われた2月21日は両親の結婚記念日だった。

 「こんなことあるのかなって。お父さんは素晴らしい人生をおくってきたから、忘れないように神様が与えてくれたんじゃないかなって。いいお父さんだったよ。お棺の中に手紙を書いて、お父さんの思いを書いて一緒に焼いてもらったかな。」。中居は2週にわたり、あふれる父への思いを語った。

(15/5/17(日)デイリースポーツ)


■中居正広が父の壮絶闘病語る、最後は体重20キロ台「生き地獄」

 2月19日に父、正志さん(享年79)をがんで亡くしたSMAPの中居正広(42)が16日、ニッポン放送「中居正広のSome girl’SMAP」(土曜後11・0)で父の死について改めて語った。

 中居は9日放送の同番組で2年間の闘病生活の末に最愛の父が亡くなったことを初告白し、大々的なニュースになったことに「お父さんは喜んでいるのかな。(仏壇で)『ちーん』とやって『すげえ有名人になってるよ』と伝えました」と報告。「時間が経っているので、僕は全然大丈夫」と気丈に振る舞った。

 昨年12月から入退院を繰り返し、最後は体重が20キロ台まで落ちた父の様子を「生き地獄だね」と表現。亡くなる10日前には中居が生まれ育った神奈川・藤沢市鵠沼など思い出の地を一緒にドライブし、アルバムを持参して幼少時の写真と見比べながら、2人でキャッチボールや素振りをした場所を巡ったことも吐露。

 亡くなる5日前、中居が作ったカレーが正志さんにとって最後の食事になったといい、「ルーだけ食べた。最後の力を振り絞ったんだと思う」と振り返った。棺には父への思いをつづった手紙を入れたという。

 偶然にも父が死去した2月19日がおい(長兄の子供)の誕生日で、通夜の同21日が両親の結婚記念日だったことなども明かし、「こんなに数字がそろったら忘れるわけがない。素晴らしい人生を送ったから、神様が忘れないようにしてくれたのかな」としみじみ。

 また、父の死後、何度も父の夢を見たといい、「目を覚めたときはわけがわからない。こっち(現実)が夢かなと思った」と寂しそうに語り、「いいお父さんだった。あっちの世界でも元気にやっているんじゃないかな」と締めくくった。

(15/5/17(日)サンスポ)


■中居正広 亡き父の壮絶な最期語る 体重20キロ台まで落ち…

 SMAP中居正広(42)が16日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「中居正広のSome girl’SMAP」で、2月19日にがんのため死去した父・中居正志さん(享年79)について語った。中居は前週放送で父の他界を明かした。心配する声も寄せられたが「僕は大丈夫です」と明るい声で話した。訃報が大きく報道されたため、正志さんの遺影に「有名人になっちゃってるよ」と報告したという。

 最後の思い出も明かした。亡くなる10日前、中居が生まれ育った神奈川・藤沢周辺をドライブ。同5日前に自宅に戻り、中居の手作りカレーを食べた。

 最後は体重が20キロ台まで落ち「骨でしたね」としみじみ。「良いお父さんだったな。あっちの世界でも元気にやってると思います」と語った。

(15/5/17(日)スポニチ)