1 陽花

SMAP存続決定、スマスマで謝罪I

◆ファンの“勝利” 「解散反対」世論の声大きく

 一連の解散騒動の引き金となったのは、昨年1月、ジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長(89)が「週刊文春」のインタビューに応じたことだった。

 次期社長が確実なジュリー副社長と、SMAPの育ての親である女性マネジャー(58)との間に派閥があることを記者に問われると、メリー副社長は女性マネジャーをその場に呼び出し、「対立するならSMAPを連れて出て行ってもらう」と迫った。

 さらに「SMAPは踊れない」とまで言われ、マネジャーはプライドを傷つけられた。メンバーも事務所に不信感を抱いたことから、マネジャーは8月にメンバー5人を連れて独立を画策。大手プロダクションが身元引受人となることで口約束が交わされた。

 これは互いに弁護士を立てる事態に発展。11月に入り、マネジャーは今年3月、SMAPは契約が切れる9月に退社する意向を示し、反旗を翻したが、木村が残留を決意したことで“クーデター”計画は頓挫。身元引き受け側との口約束も白紙となり、木村以外の4人とマネジャーは行き場を失った。

 メリー副社長は独立に同調した中居正広、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の4人に激怒。木村に示しがつかないとして、4人が残留に転じても認めない姿勢を示していた。

 しかし、SMAP解散に反対する世論が大きく、事務所側もファンの声を無視できない状況に。関係者によると、17日の木村とジュリー副社長の話し合いは、今後どういう形でグループを存続させていくかの最終確認だったという。

 まさに雨ならぬ“雪”降って地固まる。わだかまりが消えた5人が、再び“オリジナル・スマイル”を見せてくれる日が来ることが期待される。

 <SMAP> 光GENJIのバックを務めていた「スケートボーイズ」から選抜された6人で1988年4月に結成。グループ名は「Sports Music Assemble People」(スポーツと音楽のために集められた人たち)に由来する。91年、シングル「Can’t Stop!!−LOVING−」でデビュー。96年に森且行が脱退した。「オリコン」で、デビューから55作連続のトップ10入りを果たし、最高記録を更新中。NHK紅白歌合戦には23回出場し、トリを6回務めた。2005年に東京・国立競技場でアーティスト初の単独コンサートを開催した。

◆SMAP、今後は自力で新境地 育ての親・女性マネジャーは引退へ

 SMAPの存続表明により、解散で生じる業界内の混乱が回避されることになった。SMAPの育ての親である女性マネジャーは、騒動の責任を痛感し、自身の契約が終了する3月よりも前に退社し、芸能界から身を引く構えだ。“クーデター”の仕掛け人が責任を取り、メンバーが“元サヤ”に戻ることで、騒動はひとまず決着となる。

 今のSMAPがあるのは、同マネジャーの力量があったからこそ。残留の姿勢を示していた木村を含め、その恩人との決別は心苦しかったとみられる。

 SMAPがなかなか売れなかった時代、マネジャーは当時はタブー視されていたアイドルのバラエティー出演という大改革に挑戦。これに活路を見出し、SMAPを一気にスターダムにのし上げた。

 その手腕を買われて、人気グループ「Kis−My−Ft2」(キスマイ)も手掛けることになった。

 マネジャーは「キスマイBUSAIKU!?」(フジテレビ系)という、アイドルにあるまじきタイトルの番組を立ち上げるのに尽力。キスマイのグループ内で人気が高い3人と残り4人をあえて差別化する構図を打ち出す作戦をとった。

 4人にもスポットライトが当たるようにと、SMAP中居のプロデュースによる派生ユニット「舞祭組(ぶさいく)」も結成させた。

 今回の騒動を乗り越え、5人の絆は確実に深まったとみられる。マネジャーが財産として与えてくれた情熱や向上心を受け継いで、今後は大胆かつ斬新なアイデアを自分たちで生み出していかねばならない。

 ジャニーズ事務所側としても、グループ解散は避けたいのが本音だったが、メリー喜多川副社長は、事務所でなくマネジャーを選んだ他の4人を簡単に受け入れることを断固拒否していた。

 芸能界では、タレントを引き連れての独立はご法度−というのが暗黙の了解。事務所としては当然の判断だ。

 「4対1」の構図となり、崩壊しかけたグループだったが、今月上旬に木村と中居が話し合い、「一緒にやっていきたい」との意思は確認しあった。

 ところがメリー副社長も振り上げたこぶしを降ろさない。そこで木村が先週、京都で主演映画の撮影中にジャニー喜多川社長とメリー副社長に電話をかけ、グループ存続を直接訴えた。

 世論の後押しも大きかったが、木村の心に宿る「武士の一分」(命をかけて守らなければならない名誉や面目)がSMAPを救ったといっても過言ではない。 (江川悠)

つづく