1 陽花

サンスポ歴代記者が見たSMAPの軌跡【木村編】

■【歴代担当記者が見たSMAPの軌跡】結婚発表の前、キムタクの不安をメンバーが解きほぐした

 わずか1年の担当だったが、苦い思い出しかない。ニュースをライバル紙に抜かれまくったからだ。2000年に木村拓哉が、工藤静香と結婚したとき、完敗した。悔しさを通り越し、無力感にさいなまれた。

 熱愛発覚後、2人がサーフィンに訪れた鹿児島・種子島まで追い掛けた。マスコミが殺到し、島はパニックに陥った。当時の記事を見たら「島は鉄砲伝来以来の大騒動」と、赤面ものの文章を書いていた。が、堂々のツーショットがすべてを物語り、ファンも「ゴールイン近し」を覚悟した。

 結婚を報告する木村の会見は、ツアー先のステージ後だった。「結婚しても、SMAPのスタンスを変えることは一切ない」そうきっぱり答えた。この時、16年後の解散を誰が予想できただろう。

 この日のステージ前。木村はひどく緊張しており、「『らいおんハート』の1番(『君を守るために生まれてきた』の歌詞の箇所)で、どうにかなりそうな気持ちになった」とも漏らした。この不安を解きほぐしたのは、他でもなくメンバーたちだったのに…。

 SMAPは、アイドルが決して一過性のものでなく、無限の可能性を秘めていることを証明してみせた。個々が、陰で血のにじむような努力をし、卓越の域にまで能力を開花させた。メンバーは生き残るための覚悟を積み重ね、トップに君臨し続けた。

 しかし四半世紀余り。豊かな個性は、28年かけて価値観の異なる強固な信念に変貌した。皮肉にも、それが解散にまで影響するとは。芸能界はデビューしても自然消滅し、忘れ去られる人が大半だ。これほど注目されて幕を閉じるグループは、出てこないだろう。

 たった1年だったが、あの時の取材記者としての敗北感と地獄を、二度と味わうまい。それを強烈に植え付けたのはSMAPだ。御礼として21日、最後のアルバムを買い求め、それを聴きながらこれを書いている。思い起こすことを避けてきた16年前の挫折を直視する機会まで与えてくれたことに、感謝したい。(編集委員・内野 小百美)

 【2000年のSMAP】「らいおんハート」は32枚目のシングルで、98年「夜空ノムコウ」以来、2度目のミリオンヒットに。また香取慎吾の「慎吾ママのおはロック」も大ヒットに。慎吾ママの「おっはー」も人気となり、この年の流行語大賞も受賞した。


(16/12/25(日)スポーツ報知)