1 陽花

【サンスポ】スマスマ最終回B

◆『スマスマ』放送作家の鈴木おさむ氏、番組振り返り「夢を何度も」

 「スマスマ」の放送開始から20年9カ月、番組制作に関わった放送作家、鈴木おさむ氏(44)がブログを更新。「沢山の沢山の奇跡が起きる瞬間を目の前で見ることが出来ました。夢は叶うと言うことを形で何度も見ることが出来ました」と振り返った。終了後にはファンから寄せられたFAXで埋め尽くされた写真を掲載し、「ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう」と感謝した。

◆【SMAPノムコウ−KANSHAして−】
結成してすぐ解散危機

 大みそかをもって解散するSMAP。解散を巡る報道は海外でも大きく取り上げられ、皮肉にもグループの偉大さを改めて証明した。

 国内外、老若男女から愛された国民的グループの始まりは1988年。スケートボードが得意なグループ「スケートボーイズ」から選抜された6人で構成された。

 メンバーは中居正広(44)、木村、稲垣、森、草なぎ、香取慎吾(39)。平均年齢は当時13・7歳。ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(85)が「Sports Music Assemble People(スポーツと音楽を融合する人々)」の頭文字をとって命名した。

 ポスト光GENJIとして、事務所から大きな期待を寄せられたが、テレビ業界は80年代後半から90年代前半は音楽番組がなかった「アイドル氷河期」。テレビに出られず、91年9月のデビュー曲「Can’t Stop!!−LOVING−」は初登場2位。事務所の先輩、少年隊や光GENJIがデビュー曲で初登場1位を獲得してブレークしたのとは対照的だった。

 なかなか人気に火がつかなかったこのころ、実は“解散危機”があった。当時を知る関係者によると、ジャニー社長から「次売れなかったら、解散だぞ!!」とゲキが飛んだという。

 その言葉にメンバーは震え上がり、「スタッフからの提案には一切嫌がることなく、何でもやろうという姿勢になった」と別の関係者は回想する。

 そこから、当時アイドルにとってタブーだったバラエティーに挑戦。フジテレビ系「夢がMORIMORI」で体を張ったり、コントを行ったりするなどして次第に人気を獲得。94年3月に発売した12作目の「Hey Hey おおきに毎度あり」でついに初の1位に輝いた。

 同年には6人が出演した映画「シュート!」が公開。PRで仙台を訪れた際、殺到するファンを規制しようとしたスタッフにリーダーの中居は「できるだけ近くまで来られるようにしてください」と懇願した。下積みが長かったため、ファンの大切さは身に染みていた。

 SMAPの頑張りに応えようと、スタッフは耳の肥えた音楽ファンが好むFM局のレギュラーを各メンバーのために獲得していく。現在も続くTOKYO FM「木村拓哉のWHAT’S UP SMAP!」(95年1月から)や草なぎと香取のbayfm「SMAP POWER SPLASH」(同年4月から)がスタートし、音楽とバラエティーの“二面攻撃”で、さらにファンを増やしていった。

 ジャニー氏はかつて、「SMAPのSにはStudy(勉強する)という意味もある」と語っていた。どん欲に学び、ファンに感謝する姿勢がSMAPの人気を確たるものにしていった。

★コンサート

 芸能界に確かな功績を残したSMAPはコンサートでも数々の足跡を刻んだ。1991年元日、CDデビュー前では異例の東京・日本武道館で初公演を開催し、3万人を動員した。2001年のデビュー10周年ツアーでは史上初となる5大ドーム公演を達成。05年には、単独アーティストで史上初の東京・国立競技場公演を行った。

 観客動員数も驚異的で、10年9月15日の東京ドーム公演で史上初となる累計1000万人を突破。11年9月には初海外ライブとなる中国・北京公演を実施するなど、記録にも記憶にも残るコンサートを行ってきた。

◆SMAP『紅白』完全消滅…VTR出演など関連企画は「一切なし」

 SMAPが出演を辞退した「第67回NHK紅白歌合戦」(大みそか放送、後7・15)の矢島良チーフプロデューサーが26日、東京・渋谷の同局でSMAPについて「関連企画はVTRも含め一切ない」と断言した。

 この結果、紅白辞退後も取り沙汰されてきたVTRによる本人たちの出演や過去の歌唱映像のほか、音声による出演も完全消滅。メンバー5人そろっての姿は、「スマスマ」の最終回が最後となることが確定した。

 SMAPの紅白辞退は、5人の心境を連名で書いた手紙が19日、所属事務所を通じ紅白担当者に手渡されていた。

 また、番組制作の最高責任者である放送総局長が21日の定例会見でSMAPの出演について「交渉継続状態」と説明したことについて、報道陣から「結果的に嘘の説明になった」との指摘があった。が、矢島氏は「手紙を受け取ってから確認作業を続けていた。事務所が23日に手紙を公開したのを尊重して、同じ日に(NHKもSMAP辞退を)発表した」と語った。

続く→