25 大伴
スレッドタイトルとは大きく外れますが、>>21の続きを。

武帝紀の記述では、安衆以後の華々しさを書く訳ですが、曹操のその卓抜した技量を現しているのは、安衆までの後退であると思います。
@計画的後退で、敵を自らが設定した決戦場に引きずり込んでいる事。
A遅延後退をさせていた事。後退であるにも関わらず、逆襲の為の戦力を温存し、モラールを長期に渡って保持。

特にAから、長期に渡って攻撃を受ける訳ですから、最後尾は疲労しやすい事が言えます。故にここは複数の部隊が交互に担わなければ、とても持ちません。つまり曹操は、逐次後退では無く、より高度な交互後退(最後を入れ代わりながらする後退)により後退していた事がわかります。

又、安衆では後退を秘匿する為にトンネルを掘って逃げていますが、恐らくその土は防塁に見せかけて積んだのでは無いでしょうか?大量の土を隠さねばなりませんし、隠すならばこの方法が一番良いと想像します。つまり、抗戦の構えを一度見せ、離脱開始を見誤らせたと。
(F2102V/FOMA)