43 司馬散人
私が「朱子学アレルギー」の言いだしっぺなんですが(苦笑)
朱子学のイデオロギィシュな部分に馴染め無くて、演義の虚飾された劉備に、士大夫の理想像が反映されてるみたいに感じて「こんな奴いね〜よ」と感じていたんです。

その後、陳寿の「高祖の風有り」(でしたっけ?)の記述で「(儒者嫌いだった)劉邦に似ているかもしれない!?」と思ったら、急に親しみを感じるようになった訳です。

まぁ、劉邦の時代と劉備の時代では儒教の質と影響力が違いますが、これがきっかけで「侠」にも関心が向くようになりました。
(J-SH53_a)