62 天草
李殿>あまり詳しくないので、コピペで失礼。ここに収まるかな?

三国志における最強の悪女。
孫魯班は正史など文献で登場するのは全公主という名前が多い。
孫権の娘で全jの妻(全公主というのはこのため)である。
元々の災いは年老いた孫権の優柔不断なところにあったのだが、孫魯班の母・歩夫人は孫権の寵愛を受けており、宮中では皇后と呼ばれていた。
実際に孫権も歩夫人を皇后にしたかったのだが、太子である孫登の母・徐夫人がいたため不可能だった。
そうこうするうちに孫登が病死し、孫権は太子の孫和と孫覇の身分の違いを明確にしなかった。
結局これが原因で後継ぎ争いが始まったのだが、孫和の母・王夫人と孫魯班は仲が悪かった。
魯班の母・歩夫人と王夫人がライバル関係だったからだと思われる。
魯班は当然ながら魯王・孫覇についてしまった。
まず魯班は王夫人の悪口を孫権に吹き込み、王夫人を皇后にさせなかった。
そのことを孫和が恨んでいるのではないかと思い孫和の失脚を図り、病に伏した孫権にあることないこと吹き込んだ。
孫権は信じ込んでおおいに怒り、王夫人は憂死、孫和は疎んじられ、孫亮がかわいがられた。
魯班は夫の従兄の娘を孫亮の妻とし、自分の地位の安泰を図った。
その後、孫峻が実権を握ると、親戚関係にあった魯班にとっては力強かった。
孫峻は皇族で「魯班の夫の従兄の妻の弟」である。
孫峻の傲慢な政治により呉の民の恨みを買っていたが暗殺計画は2度も失敗した。
その2度目に魯班は妹・魯育を処刑している。
孫和を太子からおろすことに反対したのを根に持っていたのである。
このことを孫亮に問いただされ、魯育の義理の子に罪をなすりつけ殺した。

その後実権を握った孫リンは魯班を遠ざけた。
そのため、魯班は孫亮らと結託し孫リン暗殺計画を立てた。
しかし孫峻の姉(魯班の夫の従兄の妻)から計画がばれて孫亮は廃位、魯班は流された。
その後は歴史から名が消えている。

孫魯班は自分の伝がないため、いろいろなところで目にする。
それだけ影響が大きい人物でもあったのだ。

長文失礼!
(PC)
63 佐奈
補足です。魯班は、はじめ周兪の子周循に嫁いだが、周循が早死にしたため、未亡人となりました。気の毒に思った孫権は全ソウに嫁がせ、全公主と呼ばれるようになりました。
孫和と対立したのは、孫覇。和と生母が同じで同時に寵愛を受けたので、和を太子にたてると、覇を魯王に封じました。しかし、二人の待遇は同じだっため、太子と区別をつけるべきと、臣下の意見で、同室だったのを別々の宮殿に分けたことから側近たちの対立から派閥抗争になりました。
(N252i)