85 赤龍
もし邪馬台国が近畿にあったとすれば、中国との使者の往来を可能とする為にも、近畿を中心とし、九州北部まで広い範囲で邪馬台国の力が及んでなければならないはずです(直接・間接支配、友好関係という差はあるが)
しかし、私には当時の邪馬台国がそこまでの力を持っていたとは思えません。これ以後の古墳時代でも、出雲、吉備、九州、それぞれ大和朝廷とは別の文化をもち、時に対立しているほどですから。
その為、私は九州説の立場にたっています。
>>78で「位置は重要視されてない」とありますが、このように邪馬台国の位置によって、邪馬台国の規模や、当時の日本の情勢に対する認識に大きな差が生まれてしまいます。決してないがしろにしていい問題ではないと思います。
一時の邪馬台国ブームで乱発された、単なる位置論を問題にするだけの説が濫発されたせいで、それに辟易・反省したためというのもあるでしょうが。
(PC)